錚吾労働法

二〇八回 無期労働契約と有期労働契約③
 労働者が、その労働者生活をたった一つの会社、一つの役所で開始し、終了する。無期労働契約の着想は、このような着想に胚胎するものである。しかし、よく考えて見ると、労働生活をたった一つの会社、一つの役所で完結するというのは、奇妙なことではある。労働者は、自分の労働力をより高値で売りたい。労働市場論の次元で物事を考えるのであれば、労働者は就職していても、労働力を高く評価してもらいたいし、高く売りたいのである。
 明治時代、大正時代、昭和初期の大学を出た人たちは、この点をよく心得ていた。民から官、官から民への異動は、有能な人物の証でもあった。有能の士は、無期で働くなんてケチでチビた頭を持ってなかったのである。自分を必要とするところへ行ってその能力を発揮したのである。無期だなんて言われるのは、馬鹿にされているんじゃないかと訝りもしたのであろう。自分を必要としている所、自分が貢献することができる所が、大卒の働く場所であった。一箇所で働くとは考えない、つまり何をして貢献するのかという明確な志があった。
 会社や役所が志の高い人物を確保したい、ずっと確保しておきたいと考えても、労働者の方から別の会社へ行くと言われてしまえば、復職してくれよなといって送り出したのであった。しかし、今では、志の高い労働者は、鐘太鼓を叩いて探しても、見つけるのが難しい。産業が成熟して、製造業が海外移転してしまえば、会社の仕事も役所の仕事もたいした代わり映えのしないものとなり、官民間の労働移動は無きに等しいものとなる。国内労働市場の活力は、無きに等しいものとなる。
 無期の労働契約は、元々は、好ましくないものと考えられていた。労働者に支払うべき賃金を低く抑えて長く労働させるようなことは、労働者の経済的・社会的地位を下落させ、その福祉にとっても好ましくない影響がある。労働者の足止めの典型的なものであった。労働基準法が1年を超える労働契約の締結の禁止をうたっていたのは、このような理由からであった。ところが、今やすっかり様変わりしてしまった。最近の若者は、足止めなんかはされずに、足離れの達人に様変わりしている。
 こんなことは言いたくはないが、国が現代の若者を育成したのであろう。ダメだと解っていながら放置され続けた「ゆとり教育」、「やりたいことを自分探ししながら見つければ良い」などと言ってたんでしょ。「暗記はだめだ。問題を発見せよ。創造せよ」。小中高生に理由のわからないことを言って、教師には、「あんまり教えるな、生徒が解るまで気長にまとう」などといって、とどのつまりは、賃金の安い労働者を大量生産してしまった。派遣と期間雇用は、こうして労働形態の主流となってしまった。
 我々は、視野を広くしておかないと、騙されてしまう。使用者の観点からすれば、月額20万円出したい労働者を見つけるのは、難しいのである。ゆとりのある多様な働き方の奨励は、奨励などという褒められた話ではない。こうなってくると、解雇問題は労働政策の中心ではなくなり、失業率の上げ下げを労働政策の主眼とする考え方が登場してきても、少しも怪しく思わなくなるに違いない。
 労働者の労働能力がその高低と幅の違いによって評価され、労働の時間のみならず結果を重視するするようになれば、契約期間の長短、労働時間の長短など非統一的な管理こそが主流になるはずである。この変化は、企業の内部の事務的な、非生産的な業務を事務機器の発達と相まって広範に企業から蒸発させてしまうに相違ない。事務労働者を無機に、かつフルタイムで雇用する企業は、時代遅れだという評価にさらされるようになろう。この部門の求人は、長期的には減少することはあっても、増加はしないであろう。
 学生アルバイトでありながら店長であり、かつ店長にふさわしい処遇が確保されているという、これまでには殆ど考えられなかった雇用関係も、展開することとなるやも知れない。(パートの取締役が話題になったことがあるが、取締役が常勤である必然性はないのである)。多様な働き方を主として若者たちが選択するというときに、それは若者たちのフリーダム・オブ・チョイスの行使であるので、我々としては、口を差し挟むことではない。                             「名ばかり管理職」だの「ブラック企業」だのの若者を兵器で使い捨てて、平然としているような企業については、不買運動、サービス提供拒否、企業名公表などにより、その姿勢を正させるようにすべきである。労働市場には、選択される企業と選択されない企業とがある。有期かつ短期の労働契約でもって、労働者を常時入れ替えて人件費を抑える雇用管理を称揚するようなやりかたは、長続きして欲しくないのである。