錚吾労働法

八一回 原子炉事故と労働⑩
 原子炉事故が発生すると、誰がその暴走を停止させ、汚染を除去するべきかという問題が生ずる。また同時に、広範に発生するであろうに相違ない職場の喪失を誰がどのように回復させるべきかという問題も生ずる。今回の震災と同時に発生した東電の原子炉事故によって、生ずる被害が震災のみの場合に比べ、その後に生ずる労働問題の解決はより困難なものとなった。これは、これまで我々が経験したことのない問題である。
 中電の浜岡原発の運転停止は、既に行われた。事故に対する「事業者責任原則」には、元々、無理があった。大事故があれば、従って、政府をはじめとする諸団体が出資する賠償機構を創建でもしなければならないだろうことも、分かっていたことである。地震津波による原子炉事故の場合には、電力各社は、「不可抗力抗弁」が出来るとたかをくくっていたに相違ない。不可抗力抗弁が出来るから、あとどのように解決するかは政治の問題であると、考えていたに違いないのである。しかし、あそこまで事故に備えていなかったとは、電力会社はいざ知らず、近在の者達も、県、市町村の首長らも分からなかったのではないか。
 安全だから心配せんでも宜しいと言い続けてきたのは、政府と電力会社である。なぜ、原子炉に限ってイザというときのための万端の用意がしてなかったのか。他の原子炉があるので、これを教訓として、万端整える投資を行わねならない。発電所電源喪失などは、愚かなる不手際である。あのような大震災であったが、東電の原子炉は順調に稼働していますとか、緊急停止後は何の心配も生じていないというのであったら、政府や東電は世界中から称揚されたに違いない。しかし、今となっては、なぜあのような「過信(自信過剰)」が生じたのかについての深い洞察がなされるべきである。
 東電技術陣と重電三社(日立製作所東芝三菱重工)技術陣は、あの「大本営」的な根拠のない「自信過剰」に陥っていたのではないか、「装置に対する信仰的な刷り込み作用」に囚われていたのではないか。原子炉崇拝の心理である。事故が起こっているのになお、心配せんでよいというあの恐ろしいまでの楽観論は、一体何なのか。「装置は期待を裏切らない」、とでも言うのか。科学の先端を走っているとばかりに思っていた連中達は、全く科学的でない「装置崇拝」の連中であった。事故は、彼らにとっては、自己否定に繋がるあってはならないことであったから、彼らは、事故を客観視することが出来なかった。神殿をサムソンが破壊した故事を思い出したよ。
 地震津波によって職場が壊滅させられた人々が、多い。東電原発に勤務していた者らも、また同様である。周辺住民が再び以前のように、原子炉施設で働くことは、もう出来まい。政府その他の行政機関が迅速に復旧工事に着手出来ないでいる、または着手を依頼出来ないでいるのは、東北地方をどのように再設計すべきか図面が引けないでいるからである。放射線による汚染は、既に広範に及んでいる。土壌を上下入れ替えるとしても、その範囲が1県の面積より広くなるやも知れない。そうなれば、いつ終わるやも判然としない、20年でも完了しないかも知れないような工事となるだろう。海岸線の護岸工事は、オランダのものよりも長大幅広なスーパー堤防でなくてはならない。生コン業者を東北に集中させ、製鉄会社に棒鋼、鋼矢板の増産と東北への傾斜配分を依頼しなければならない。重機を終結させなければならない。中古重機の輸入も、必要である。原発ばかりに目を奪われていると、やらねばならぬ多くが手つかずとなるだろう。
 東北には、企業進出を積極化しなければならない。東北地方を産業空白地とするわけには、いかない。名古屋市が積極果敢に行っている行政支援を、その他の自治体も見習ってほしい。東海地方の産業は、今回の震災を教訓として、産業危機管理を推進すべきである。原発事故のある程度の処理の後の東北地方への企業進出は、産業危機管理策として適切であろう。東京直下、東海、東南海、南海という具合の連続的な震災から産業を守ろうとし、行政機能を守ろうとするならば、移転策は、不可欠となるだろう。国家公務員も含め、労働移動を容易にする方策も、行われなければならない。
 トヨタ式生産方式も、こんな時には、役立たないことがわかった。倉庫料をゼロ化する卓抜の発想の限界が、ハッキリと見て取れた。トヨタトヨタ関連企業も苦しいに違いないが、働いている労働者ともども、再び羽ばたいてもらわなければならない。最多数の労働者を抱え込み続けてもらわねばならない。もう既に、労働者の賃金は、かなりの減収になっているはずである。トヨタ系にしてそうであるから、その他の復興特需が見込まれる企業は別として、当面、多少の景気の悪化を覚悟すべきである。中電は、歯をくいしばってでも中部の産業の大黒柱であり続ける決意をしてもらいたい。東電のように、[計画停電」などと弱音をはかないでもらいたい。われらは、頑張るしかないのだから。