錚吾労働法

1回 労働法とは
 労働法は、ひとの労働生活を規正することを目的とする法をいいます。法はどこにも在るものなので、家庭における労働に関して種々の規範が存在している家庭もあると思います。あるいは、稲作労働については、、農家が相互に守るべき作業手順が守られている地域が多く存在しています。これらは、労働に関する規範として存在しています。このような例は、探せば沢山あるので探してみて下さい。
 しかし、大部分の人々は、「そんなもんは労働法じゃないぞ」というに違いない。「憲法」に書いてあること、「労基法」、「労組法」、「労調法」、「労安衛法」、「雇用保険法」、「派遣法」などなど国会において制定され施行されている法律の内容やそれら法律に関する裁判所の判例について学ぶことを、「労働法」を学ぶというでしょう。
 またある人は、いうだろう。労働法は、労働者と使用者とが相互折衝、相互交渉そして時には闘いあって作り上げる自主的な規範を労働法というのだと。国家が作った法律や判例など、どうでもよろしい。本当の労働法は、労使自主法として存在するもんだ。このように言う者も、結構たくさんおります。
 ただ、教科書を使って労働法を勉強するとなれば、教科書が一番目の立場に立って書かれているのが殆どすべてであるという事実を認識することになるので、「労働生活」を規正している国家の法と判例とを学習することになるのです。自主性を法の源だとしても、この学習方法だと、例えば「労使間慣行」の評価も国家法サイドからなされることとなります。また、近時重視されるにいたったADRは、教科書レヴェルでは、ほとんど注視されないことになってしまいます。
いろいろな考えかたがあると思いますが、一番目の仕方で、学習するのが良いだろうと思います。無論、家庭や農業についての知識を吸収したり、労使慣行を学習したりして下さい。ただ、「労働法の実用性」を十分に考慮することが大切です。「裁判規範としての労働法」を学習するようにしましょう。
 労働法は、伝統的に[集団的労働法」と「個別的労働法」とに区分されてきましたが、この区別は説明上の便宜のためであって、本質的なものではないので注意して下さい。
 [集団的労働法」は、「労働組合またはその団体」と「使用者またはその団体」との関係を規正する法です。「個別的労働法」は、「個々の労働者」と「個々の使用者」(個人または法人)との労働契約関係または労働関係を規正する法です。
 しかし、最近は、「労働市場法」、「雇用平等法」、「公勤務法」、「国際労働法」などを、労働法の講義に組み込むようになりつつあります。労働法の教員を最低二名を配置しないと、まともな講義は出来ないでしょう。
 大部分のひとは、労働の対価として賃金を得て、それを生活の糧としています。人間は、その生命を保つために食べます。消費します。生活を充実させようとし、文化的な生活を志向します。また、助け合いをしようともします。
 労働者が働く企業は、資本と労働とを有機的に結合させて、利潤を生みだし、そこから賃金その他の債務を弁済し、また投資をします。企業は、主としてその生産活動を通じて、社会の発展に寄与し、個々人の生活を良くしようと意欲します。
 労働者と企業は、共通の目的を追求していますが、その利害が対立することもよくあります。労働者、労働組合、企業は、ともに発展したいと考えています。しかし、もっと賃金が欲しいという目的と、もっと投資したいという目的は、しばしば衝突するのです。新工場を作ってそこに全労働者を移動させるプランを公表したとたんに、紛争が発生することがあります。また、旧国鉄で発生した職員の移動を伴う再建計画をめぐる長期間の紛争も、記憶に新しいものがあります。田舎の工場の移転では、労働者が同時に農業を営んでいる場合があります。農作業に支障が生ずるというのが、紛争の真の原因であることもあるのです。
 労働法と言ってもその中身は多様なので、その中身を適格に把握できなければ労働法の学習は、頓挫してしまうでしょう。学習者は、自己を使用者や労働者、労働組合員、労働基準監督官、裁判官などに自在に擬態しながら学習して欲しい。一個の事実関係に関連する法条は一個ではなく多数であるのが普通なので、学習者は、法令集のあちこちを関連させて読まねばならない。学習のためには、優秀な教科書、優秀な参考書、六法、ノートを教室またはゼミ室に持参せねばなりません。
 だらしない服装で講義を聴くなどは、いけないことの筆頭です。最近の学生は、シャキッとできないユルユル心の者が多い。ジャージとかいう代物しか持ち合わせがないのかもしれないが、今にもずり落ちそうなパンツをはいている。こんな格好の学生が増加してくると、貧しくても洗いざらしのシャツを着て、真剣な眼差しのアジア・アフリカの決して裕福ではない諸国の学生の美しい姿に感動します。学習するときには、心構えというものが大切なのです。