錚吾労働法

八七回 原子炉事故と労働⑪
 原子炉の暴走を可能な限り速やかに制止して、20年はかかるだろう廃炉作業を開始してください。それにしても、ああでもない、こうでもないという情報ばかりです。聞いている国民を右往左往させれるばかりで、指揮系統はどうなっているのか。首相は、フランスで笑っているけれども、菅さんは「有能な」首相代行を任命してあるのかな。緊急時だから、内閣法の改正もしないといけない。何かあったら、首相は、フランスから、あるいは航空機内から指揮するのかな。抜かりはないと思うが、国民は政権を心配して見ているから、きちんと正しい情報を出さないといけない。国民に対する義務を果たさないといけない。
 海水注入中断問題は、実際は、中断はなかったということで落ち着くことになりそうである。しかし、この問題そのものよりももっと深刻な問題が、看てとれる。武藤副社長は、官邸から中断せよとの「空気を受け取った」と仰る。現場の吉田所長は、「危険なことになるから中断しなかった」と仰る。ここ数日、海水注入中断問題で政官で大騒ぎした後のどんでん返しであった。斑目委員長は「いったい私は何なんだ」と仰っているそうだが、そんなことは、自己判断していただきたい。原発現場にはしっかりとした責任者を配置しておかないと駄目だということが、よく分かった。東京本社と現場とが「大喧嘩した」との噂は、これだったんだな。
 官邸の「空気を受け取った」のだから、「ちょっと止めよ」と言ったのだろう。所長が「何言ってるんだ」と怒って従わなかったということだったのだろう。官邸は「空気」を発出し、東電首脳は「空気」を感じて、「空気」で現場を指揮しようとした。こんなことを聞いてしまうと、誰であれ、「山本七平」氏を懐かしく思ったに違いないが、それもつかの間のことで、「空気か」と嘆息してしまったであろう。止めるか込めないかは「空気」が決めるのであって、「誰かが」責任感をもって決めるのではない。「空気」は、誰も責任を取ろうとする姿勢を持ち合わせないときに生ずる特有の感覚である。結果の重大性に圧倒されてしまえば、その重大性が自己喪失を招来させることになる。
 「何とはなしに感ずる」ことを、「空気」という。「空気」で原子炉を操作したり、しなかったりしようと試みたという点で、唯一の国になったのだから、これ以上の非科学的なことはない。東電の皆さんは、すでに疲労からクタクタの過労の域に入っているだろう。こんなときには、判断ミスが生じやすい。東電の皆さんは、物理学的・工学的に誤りない判断をしなければいけない。政治家は、パフォーマンスで何を言い出すかわからない。国民は、見抜いている。東電は、国民・住民への贖罪の気持ちを原動力として、科学的な判断に従って仕事をして下さい。かくなるうえは、東電は、自己防衛などしないで、誠心誠意(科学的)の仕事をしてほしい。東電は、隠しごとなどしてはならない。社員は一所懸命に労働しているのであるから、諸種のデータを蓄積しているはずである。無いなどといっても、国民は納得しない。政府にも責任がある。現場にどれだけの国家公務員を張りつかせているのか。東電本社にも公務員や政治家を常駐させることも必要だが、現地に常駐させる必要性はもっと高度だと言うべきである。総ての関係者は、「空気」で働いてはなりません。