錚吾労働法

九六回 賃金②
 賃金に関して生じた様々な紛争がありました。ここでは、その一端に触れておきましょう。
 第1に、「退職金」についてです。退職金は、労働者が退職するときに当然に支払われるものではありません。退職金を支払うとの労働契約における合意、労働協約就業規則の退職金規定やその他の退職金規程があって、それらの合意等により退職労働者に退職金債権が発生し、かつ退職金支払いの履行期が到来しているときに、使用者は、労働者に対して退職金を支払うのです。
 従って、そもそも退職金が存在しない企業においては、労働者が長期間働いたとしても、退職金債権も退職金債務も発生のしようがないのです。しかし、労働者にとって退職金のない会社は魅力がないだろうし、退職金がない代わりに賃金固定給部分がその他の企業よりも抜群に高額設定されていれば別ですが、そんなことが出来る企業はそんなに有るわけはないのです。労働者にも高い能力が要求されるに、相違ありません。
 中小企業にとっては、退職金は頭の痛い問題です。それで、「中小企業退職金共済法」(「中退金法」)が制定されていて、2条の「中小企業」に該当する企業は、「独立行政法人勤労者退職金共済機構(機構)」との間に「掛金納付」と「退職金支払」を約する契約(「退職金共済契約」)を締結することによって、「退職労働者(被共済者)」に対する事業者(「共済契約者」)の魅力を高めることができる。「特定業種」(中退金法2条4項を読んでちょうだい)にはそれ用の契約があります。
 退職金が制度化または共済化されていれば、支給要件を満たしている退職者には、退職金が支給されなければなりません。しかし、退職金を支給しないとか、減額支給するような場合もあります。「普通解雇」と「懲戒解雇」の区別について、「退職金が支給されないのが懲戒解雇」と書いてある教科書があります。しかし、懲戒解雇の場合に退職金をどうするかは各企業で定めればよいことである。だから、この説明は、殆どの企業ではそのようになっていることの反映です。
 懲戒解雇で退職金が全額不支給とされた者の懲戒解雇が無効とされたときには、退職金は利息(民事利息5%または商事利息6%)を付して支給されねばならない。しかし、退職金の性格をどう見るべきかによっては、問題は複雑化する。「賃金後払い」が退職金の本質ならば、懲戒解雇の場合であっても、不支給を正当化することは難しい。
いかなる理由によって退職金を支給するのかを、いちいち裁判官に判断してもらうようでは、会社の退職金管理は落第である。「退職金イクォール賃金」の場合もあれば、そうでない「長期貢献報償」の場合もあろう。後者ならば、懲戒解雇理由が「長期貢献を台無しにしたのみならず、会社の信用を地に落とした」と言うのなら、退職金ゼロ査定ももありうる。
 労働者に会社に対する「背信行為」がある場合にも、退職金を支払うべきかという問題もある。ヘッドハンティングで退職する労働者が同僚とともに他社へ移る場合や、退職後の就職先が競業避止義務いはんとなる場合を想定して、「円満退職者」に退職金を支給する定めや、退職金減額規定や退職金返還規定を設けることがある。使用者が一方的に労働者に競業避止義務を科すことができるかどうか疑問の余地があるが、合意の上での義務設定であったときには、退職金の減額、退職金の不支給は有効となるであろうし、退職行為が背信行為を伴うときにも同様の結果となるであろう。退職金返還条項を一方的に設けても、無効規定とされる可能性がある。しかし、退職金返還規定が常に無効なわけではなく、退職者の懲戒免職相当の行為が退職後に発覚したときの適用をすべて無効とはなし得ないであろう。
 中退金の退職金を労働者に支給しない使用者がいて、退職者が退職金の支給を求める場合がある。使用者は退職金を受領したが、それはあくまでも使用者に支給されたものであるから、退職者に渡さなくても良いのだと主張していた。保佐人(「社労士」)もそう信じている。個別紛争処理の現場には、こんなお粗末な実例もある。労働者生命保険をかけて死亡保険金を取得しようという動機と同じで、退職したら使用者が退職金を取得するのである。こんなバカで悪辣な使用者と社労士は、市場から退場してもらいたい。