錚吾労働法

二六回 同一労働同一価値の原則ーその1
 最近、法曹界のみなさんがこの原則に言及するようになってきました。しかし、その中身をどのように理解しているのか、伝わって来ません。原則または原則的な事柄については、正確な理解が必要です。
 同一労働と同一価値は、同じことの繰り返しではありません。同一労働なる言葉で語るべきことは、同じ職業の同じ仕事の意味です。清掃を例にとります。廊下や部屋の掃除とトイレの掃除は、掃除という意味では同じかもしれませんが、同一労働とは言えないでしょう。
 同一価値というのは、正確に言うと、同一価値の労働のことを言います。教育を例に取ります。幼稚園の労働と保育園の労働は同一価値の労働でしょうか。また、幼稚園の年長組に対する労働と小学校の低学年に対する労働は、同一価値の労働でしょうか。このような例と質問は、他にいくらでもありますから、考えてみて下さい。
 ヨーロッパ発のこの原則を理解するためには、職業観念が定着した社会での原則だということも理解していなければなりません。自己の何々の職業を何々の事業所で行うという職業労働観念と、何々の事業所で指示される何々の仕事を行うというわが方の会社労働観念との間には、大差があります。 
 さらに、わが国では全く触れられていないこの原則の、経済的な意義にも注意しなければなりません。経済統合が進行し、統一通貨ユーロが流通している市場では、同じ物の価格は同一価格へ収斂していくことになりなす。労働の価格も、スペインのテレビもドイツのテレビも品質に差がなければ同一価格に収斂して行くのと同様に、収斂して行くことになります。ましてや、同じ国内での価格の収斂は、経済共同体全体における収斂よりも先行することになります。
 イタリア市民とかポルトガル市民とかの別ではなく、共同体の居住者をヨーロッパ市民としてとらえるようになったことも、この原則と関係がないとは言えません。市民の自由な移動は、物、お金、サーヴィスの自由な移動と同様に重要な実現目標です。移動によって自分の職業労働の価格が不安定に変動するとしたら、生活の安定は望めません。どこに住もうが、どこで働こうが、どこで年金を受け取ろうが自由にしてよろしい。よろしいと言うだけでは、ダメですね。それで、こうした自由をも表現するだけでなく、その行使をバックアップする政策として、この原則を置いたのです。その実現は、共同体の成否に関わることなのです。この原則は、共同体が単なる経済共同体であるに留まらず、労働共同体でもあることを示しているのです。