錚吾労働法

四二回 労働時間ーその9労働時間法⑥
 残業については、誰でもがそんなことは知っとるわいと言うでしょう。しかし、よく知っているつもりでも、知らないことが案外に多いのです。一週40時間、1日8時間の大原則は、いろんなことを言っているんだ。
 第1に、労基法は労働者保護を旨としているから、労働者にそれ以上は働いたらいかんと言っているんだね。
 第2に、使用者は労働者に対して労働を請求し、労働者を指揮命令する労働契約上の権利を持っているが、ごの権利を時間的に制約しているわけ。これ以上に働いてほしいなどと言うなということさ。
 第3に、労働者にも使用者にもいかんと言ってるんだから、1週40時間1日8時間を超える内容の労働契約も締結されてはいかんと言っていることになるね。それが、労基法13条で強調している無効の意味なんだよ。労基法13条をよく読んでちょうだいね。
 第4に、この大原則は破られちゃいかんというので、違反した者を処罰することになっているのさ(労基法119条)。処罰される者は、違反した者であって、使用者と書いてないだろ。これ、見落とされていることだよ。実際は、使用者が処罰されるにしてもだ。
以上要するに、1週40時間1日8時価を超えて働くな、働かせるな、そんな契約したら駄目だぞ、違反したら処罰するぞということなんだね。ところがだね、労基法36条を読んでちょうだい。書面による協定(36協定と言います)を締結して役所に届けたら、一転して使用者は残業命令(休日労働命令も)してよいとか、変形労働時間で働かせてもいいことになっちゃう。大横綱であっても真似できないうっちゃり、つかみ投げだよ。
 36協定によって、使用者が残業命令をしたときには、労働者はそれに従う義務があると考えられています(民事的効果と言われています)。また、そうでないと言う者は、36協定が締結されているときには、違反した者が処罰されないに過ぎず(免罰的効果と言われています)。
 うまく説明してみいと言われると、はたと困ってしまうよ。民事的効果説も免罰的効果説も、何かインチキ臭いな。こんなインチキ臭い学説(?)を主張するなんて、大学の先生も裁判所の判事も頭がどうかしているんじゃないのかと、学生時代から思っていたのさ。お前の言ってることは、九重連山の熊か大台ケ原の狼の遠吠えみたいだぞと、笑われてしまいそうだな。笑われついでに、もう少し聞いてちょうだい。
 労動力は、労働者のものですよ。これを使用者と契約して、使用者の処分に委ねている。どうして、自分のものなのに、書面による協定で赤の他人(労働者の過半数を代表する者とはいえ)の意思に従って労働しなければならなくなるのか。自分の意思で残業したらいけないが、他人の意思で残業させられるのはよいのですか。
 36協定を締結する一方の当事者は、労働者の過半数を代表する労働組合または個人でしょ。それが何となく合理化されたのは、労働者の低賃金を残業でカヴぁーすることが出来たからなんだね。労働組合的に言うと「残業を勝ち取った」のが36協定だったという面もあったんだね。局面はちがうけれど、残業させないと不当労働行為になったこともあったんだよ。
 上に述べたことは、わけの分からないことが多々あるんだが、その一部です。現状はこうですよということで、理解しておくしかないんじゃないかな。何言ってんだと、先輩達に叱られそうな気がするよ。