錚吾労働法

六二回 育児と介護①
 「少子高齢化社会」が到来しております。こどもを大切に育て(「育児」)、病気になったら手厚く「看護」するてるのは親の当然の責務であり、老親など家族の「介護」もまた若い家族成員の神聖な役割です。また、これらの責務と役割は、私的なものであるばかりでなく、社会的なものであり、その円滑な遂行を可能ならしめるのは国の仕事でもあるのですよ。これは男の役割、あれは女の役割などと「役割分担」ありと言っていた時代は、もうとっくに過ぎ去っていると思って下さい。
 「俺は子育てはしない」などと威張っている化石男は、結婚する資格はないな。「俺の親の面倒は嫁が看るのが当たり前」などと言っている男は、妻から三行半で離婚されてもしかたないな。同じようなことを言う女もいるだろうな。お互いに人間性を取り戻しましょう。
もう昔の話だが、男にも育児休暇をと言ったら大教授にお前は何言ってんだなんて顔されたっけ。今じゃ、理解がある職場とない職場はあるだろうけれども、そんなこたああったり前の世間になりつつあるわな。この変化は、大きいと思うよ。また、子供生む生まないの最終的な決定権は、女の側にあるってこともガッテンガッテンだな。しかしだよ、確かにそんな屁理屈極まりないこと言われりゃあその通りでござんすが、男女の深い愛情の内で何事も定まるってのが本当のことじゃござんせんか?女に決定権があるなら、男には請願権あるのかね。プチな話だな。
 こどもを育てるための制度設計は、うまくいってない。待機児童なんてね。親は共稼ぎしなくちゃ生きられねえ世間になって、子育てちゃんとせいと言われても、こんな状態じゃあ、情けねえやね。税金たんまり払ってないけど、こどもにはちゃんと手当してくんなくっちゃな。いっとき、お金渡せば出産してくれるんじゃないかなんて議論して、「子供手当」あげようなんてことになっちゃったんだ。これは、屁理屈にもならない実にひとを馬鹿にした話だよ。こんなこと言われたんじゃ、決定権は女にあるという屁理屈が道理に聞こえちゃうよな。出産・子育てのキーワードは、男女の仲睦ましい愛情に決まってらあ。
 頼りになるのは、息子じゃなくてお嫁さんなんだろうか。「痴ほう症」になってしまった人は、息子をさっさと忘れてしまったが、お嫁さんのことは死亡する数週間前まで認識できたんだ。一昔前は、今ほど長生きでなかったから、介護するのも若い内にできたんだね。今じゃ、老人が老人を介護する時代になったね。これは、「長生き時代」の特徴ですよ。老親の世話は家庭でと言えた時代じゃなくなったってことさ。
それに「大家族時代」はとっくの昔の話で、若い世代は都会の狭っ苦しい住宅で肩寄せ合って暮らす「核家族」さ。寅さんちなんて、夢のまた夢なのさ。赤の他人だって面倒見てやろうじゃねえかなんて家は、東京は葛飾の柴又に行ったってありはしないのさ。[老人手当]出すから、家庭で看ろなんて言えないだろ?子供手当の発想で老人問題やられたら、救いようのない国になっちゃうな。年齢を重ねてはつらつとしていられる世間にしたいよ。人参ぶら下げられたんじゃあ、怒り心頭だよ。下品なんだよ。子供手当なんか、止めてほしいよ。