錚吾労働法

八九回 公務員と処分②
 「分限処分」は、「法定の分限処分理由」に該当しなければ、「職員は、その意に反する免職などの不利益を甘受させられることがない」と言う意味において、「身分保障」の支柱たるものである。かって、積極果敢に「分限処分」がなされたことがあった。古い話だが、戦後の「行政整理」(民間では「人員整理」)は、国公法78条4号による免職を実施したばかりでなく、「待命処分」をも創設し実施するという徹底したものだった。 
 この経験が、「分限処分」は「身分保障」を破壊するものであるとの見方が広がったのであろう。しかし、分限規定の最初の規定たる75条は「身分保障」の定めとなっています。国公法または人事院規則によらないで、職員を「降任」、「休職」、「免職」することが出来ず、人事院規則所定の事由に該当してはじめて「降給」することが出来るとしている。
 そして、国公法78条一号ないし四号は、職員を「その意に反して」、「降任し、または免職することができる」場合として、次のように言う。
 一 勤務実績が良くない場合
 二 心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪え
  ない場合
 三 その他その官職に必要な適格性を欠く場合
 四 官制若しくは定員の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を  生じた場合
 休職や定年などの定めも、分限処分の内容ですが、上の一号ないし四号が分限処分の核心部分です。
 「公務員の労働基本権」に関わる議論の中には、「争議権」を付与するときには、「身分保障」を無くすというのも有ると聞く。「分限処分と懲戒処分が身分保障の支柱だ」ということが、理解されていないようだ。「身分保障を無くす」というのは、だから、「分限処分も懲戒処分も無くす」ということになってしまう。これを知ったら、言った者達は、ビックリ仰天ですよ。いや、この発言、深慮遠謀かも知れないよ。「身分保障」無くしてしまえば、「違法争議行為」がなされたときでも懲戒出来なくなるかもしれないから。ここでは、「身分保障」は、「労働基本権」とは関係が無いことを確認しておこう。
 上の一号ないし三号については、理解することができるだろう。四号については、民間企業におけるリストラなどを想起すると、分かりやすいであろう。そうであるなら、「分限免職」に「整理解雇の基準」(整理解雇を述べる所で述べます)を当てはめることはできないかと、誰でも考えるのではなかろうか。
 あの手この手の定員管理。漫然とした定員管理は、時代によって異なる行政需要に対応出来なくなるだけでなく、過員を放置する放漫行政と放漫財政とを現出させる。特殊法人の民営化、郵政公社化、国立大学などの法人化、その他の独立法人化は、行政機関の定員を劇的に減少させた。昭和40年頃には約90万人であったのが、平成22年には、30万2294人となった。特に、平成15年の郵政公社化、同16年の国立大学の法人化は、それぞれ28万6千人、13万3千人の行政職員の削減をもたらしたのであった。
 行政職員の定員削減と厳格な定員管理は、無論、特別立法によるものであるが、実質的には分限処分であるということができよう。非公務員化をかくも劇的に実現した例は、滅多にあるものではない。実質的に四号の事例でありながら、四号事案としてカウントされていないのである。
 分限処分事案の最近の特色は、「心身の故障」(二号)、「不適格」(三号)が増加していることである。「勤務実績不良」(一号)は少数で安定しているようである。いわゆる「問題行動」事例は、例えば職場でどなったりすることだが、「心身の故障」に由来する場合もあり、同僚や上司への嫌がらせの場合もある。受診の結果次第では、休職させなばならない(七九条一号)。「最高3年の休職期間」経過後でもなお心身の故障が治癒していなければ、免職とせざるを得ない。
 出勤しなかったり、遅刻や早退を繰り返し、仕事を途中で放り出すなどは、「勤務実績不良」(一号)、「不適格」(三号)の事例である。「不適格」の判断に際しては、問題の行動が簡単には改善され得ない性格の持ち主であるのかどうか、職場のいじめのためではないかなどをを総合的に考慮すべきであろう。
 分限処分の当否についての団体交渉が不調な場合の調整については、公務員制度改革を念頭に置くときには、人事院を温存して人事院にその権限を与えるか、中央労働委員会にその権限を与えるかのいずれかになるであろう。労働法を勉強している者としては、中央労働委員会にやってもらうのが適当ではないかと考える。ただ、労調法をそのまま使うのか、あるいは法改正して新たな手続を付け加えるのかを更に検討すべきであろう。