錚吾労働法

一〇三回 中央労働委員会
 労委事務の自治事務化がなされたが、労組法の改正にまで踏み込まなかったため、自治事務化そのものが不徹底なものとなった。この点は、既に指摘した。労組法26条を読んで下さい。中労委は、都道府県労委が行う手続に関しても規則を制定することができる。都道府県労委は、自らの手続について規則制定権を持っていないことになる。この結果は、自治事務化の観点からすれば、首肯しがたいことである。自治事務化の観点からは、都道府県労委に規則制定権が与えられねばならない。この要請と労組法26条の規定との関係をどのように理解したらよいのか。ここでの問題は、本質的な問題であって、また深刻な問題である。可能な解釈は、いくつかあり得るので、次にそのことについて述べよう。
 第1の解釈の仕方は、自治事務化とはそぐわなくなっている労組法26条を、自治事務化に相応しく読み替えなばならないとするものであろう。この解釈は、労組法26条を都道府県労委はその行う手続に関し規則を制定することができるという具合に読まねばならないとする。この解釈を採れば、中労委の規則制定権と都道府県労委の規則制定権とが並立または競合することとなろう。
 第2の解釈は、従来どうり、規則制定権は中労委に専属するが、それをもっと限定する必要性があるとするものであろう。不当労働行為審査手続に関わる規則は、自治事務化の後も手続の全国的統一性の要請に従うべきであるから、中労委の規則制定権をこの点にのみ承認すべきであるとするものであろう。従って、その他の紛争調整機能については、全国統一性の主張は百害あって一利なしなので、都道府県労委が規則制定権を有しても問題はないとするであろう。個別紛争調整については、それを行っている労委にその手続などの規則制定権があると解釈してもいっこうに差し支えないのではないか。
 第3の解釈は、都道府県労委に規則制定権があるとするが、中労委が定める規則をそっくりそのまま定めればよいとする。労組法26条は、中労委の規則制定権を定めているが、都道府県労委が中労委が定めた労委規則と寸分違わぬ規則を制定するときには、問題はないとするものである。
 第4の解釈は、労組法26条を厳守せねばならないとするものである。上に述べたいずれの説においても、都道府県労委の規則制定権を承認する限りにおいて、統一的な労委事務が確保されなくなる惧れがある。立法者が敢えて労組法26条を改正しなかった点を、当面は重視すべきであるとする。
 第5の解釈は、労組法26条による労委規則は、標準的な手続を定めているに過ぎないから、そこから逸脱しない程度の創意工夫であって定着している手続や中労委規則においても解決をみているとは言い難手続については、都道府県労委が規則化することを妨げないとするものである。
 以上は、自治事務化と労組法の立法(改正)不作為との狭間に労組法26条を位置づけるときに浮上するであろう考え方である。あくまでもこのブログの書き手が一方的に考えたものだから、読者は違和感を覚えるかもしれない。しかし、この程度のことを考えながら仕事をしないと、自治事務化された都道府県労委の事務展開に何の変化もないということになってしまう。
 公益委員をしている方々ならば、上に示した各解釈において何が想定されているかについて、くどくどと言う必要はないだろう。ただ1点のみ指摘すると、かって岐阜地労委は審判抜きの救済命令を発したことがあった。裁判所には、理解不能な救済命令であったようだ。しかし、調査段階で明白な、敢えて審査に入るまでもない不当労働行為についてまで、審査手続をせねばならないのか。とくと考えねばならない課題であり、中労委規則に規定がない事柄については、都道府県労委において規則をもうけても一向にかまわないのではないか。