錚吾労働法

一〇四回 機関委任事務自治事務
 労働委員会について述べるときに、「機関委任事務」とか「自治事務」という耳慣れない言葉を使ってきました。この2つの言葉の意味について説明しておきます。
 機関委任事務とは何か。ここに機関委任事務というのは、旧地方労働委員会が行っていた不当労働行為の審査や労働争議の調整などの事務が機関委任事務であったという意味です。「明治政府」は、「廃藩置県」を基礎にして作られた政府でした。新政府は、その決定などを全国津々浦々にまで行き渡らせるため、「国家機関としての県知事」を任命し、県知事を介して国家の事務を市町村長に行わせるという仕組みを作り上げました。
 国家が行うべき事務を地方の市町村や知事に行わせるために、事務の執行や処理を国から市町村に委任したり、省の事務の執行や処理を知事に委任するシステムを考案しました。これが、機関委任事務と言われるものの原型です。機関委任事務の特徴は、「国ー知事ー市町村長ー臣民」という「上下関係」秩序の貫徹であったと言えるでしょう。
 この過度な上下関係は、昭和の新憲法の「地方自治」規定によって緩和されましたが、「労働組合の保護・育成」なる国の新政策の実行主体として、国に中央労働委員会都道府県に地方労働委員会とが創設されました。両労働委員会の根拠法規は、労組法、労調法でしたが、地方労働委員会の行う事務は、もともとは国の行うべき事務であると考えられていたので、国から地方労働委員会に機関委任するという形式が採用されたのです。新しい酒が自治で、古い革袋が機関委任事務であったといえるのである。
 中央労働委員会は旧「労働省」(現「厚生労働省」)の外局たる国の組織であり、「国ー中央労働委員会地方労働委員会」という上下関係の核心的な存在として構想されました。国の独立機関としての中央労働委員会には、労組法、労調法の手続を全国統一した姿で地方労働委員会に行わせるという任務が付与されました。再審査の理論的な根拠も、ここにあったのです。地方自治体に設置される地方労働委員会なのに、国の中央労働委員会の下部に置かれてよいのかという疑問はありました。
 その疑問を吹き飛ばしてしまったのは、戦後の大争議の続発を精力的に調整していった中央労働委員会の有能な公益委員達の活躍だったとおもいます。大争議時代の終了、審査事件の増加と減少、合同労組関連事件の増加などの画期を両労働委員会は経験しましたが、都道府県など地方自治体の成長、分権思想の展開、小さい中央政府の主張などなどの政治的に重要な動脈の形成もありました。
 「国民の行政監視」の浸透は「行財政改革」を待ったなしの政治課題としただけでなく、「住民自治」、「団体自治」の「自治思想」をより実現可能性のある課題たらしめた。かくして、「機関委任事務」の有する「中央集権的な上下関係」は、現代的な行政の在り方としては相応しくないとの考え方が優勢を保持するようになった。「機関委任事務の廃止と自治事務化」は、このような文脈のなかで起こったことであった。平成12年4月1日に施行された「地方分権一括法」は、「国の機関委任事務の全廃と事務の自治事務化」を実施するというものであった。これに伴って、労働委員会は、中央労働委員会の下位に立つ地労委から自治事務を行う独立の都道府県労働委員会へと姿を変えるチャンスを手にしたのである。
 労委事務の自治事務化は、簡単に言えば、労組法、労調法にかかわる事務を自己の責任と創意工夫によって執行することができるということである。上でチャンスを手にしたと述べたのは、自治事務化を実現する、または促進する中央労働委員会都道府県労委との関係を自治事務化に相応しく整えるための本格的な法改正が、なされていないからである。長い間の実務は、それ自体を常識化してしまうようである。公益委員たちの話を聞いていると、中央労働委員会の再審査、管轄指定、一般的指示権限、規則制定権など現行法には、都道府県労委の自治事務と抵触するであろうシステムが引き続き存置されていることに違和感をすら感じていない者が多いことに気づくのである。中労委から独立して自治事務を行う都道府県労委の姿は、とっくに視野にはいっているものの、遠い所に見えるのである。
 これは、実に重要な変化であって、中央労働委員会の優れた人材に国の領域でいかなる事務を担ってもらったらよろしいかという中央労働委員会の再編成にかかわっているのである。従って、国と都道府県の労働委員会の委員からなる再編成会議を組織して、立法府に建言するようにすべきである。いろんな意味で労働委員会はコーナーにたっているであろう。公務員制度改革道州制の是非とも絡む問題であるから、真摯にとりくむべきであろう。