錚吾労働法

一〇六回 解雇②内々定取消は解雇か
 企業の採用実務に、採用内々定が取り入れられるようになっている。この内々定が取り消されることによって、卒業予定者の進路が不安定なものとなっている。しかし、内々定などという仕方であったにも関わらず、それ安心しきっていた学生の不勉強にも驚きを禁じ得ない。内定であっても不安定であるのに、内々定の上に胡坐をかく生活態度にも、違和感がある。
 内定が労働契約の締結と見られる場合があることについては、既にふれた。そして、すべての内定が労働契約の締結と判断されることもない点についても、指摘した。内々定の場合のその取消であっても、なお内定の場合と同様に解することができるのか。これが、ここでの問題である。
 内々定の取消が解雇と同視される余地は、結論を先に言えば、限りなく狭いと言わざるをえないだろう。その理由は、内々定という法的状態には労働契約の締結という当事者の意思を存在しないのではないかと解されるからである。内々定なる状態は、契約締結まではまだ遠い、そこに至るまでの途上になされる使用者の不確定な意思表示にすぎないのではなかろうか。学生にしても、内々定を決定とは受け取ってはいないはずである。実をいえば、その可能性は、内定の取消の場合にだってあったことである。
 内々定を会社が取り消した場合に、通常ならば、それを既に成立している労働契約の解約であると判断出来はしないが、なおそう考えざるを得ない特別な事情が存在するかどうかを検討することになる。会社が、学生に対して内々定だがそれは形式上そうしているだけであるから、他社に行かないでわが社に入社するとの旨の誓約書を出してくれと申し向けたりし、学生もそれに応じて他社への就職活動をしないようにしたとか、会社が何月何日に内定となり、何月何日に正式採用の運びとなるなどと説明し、学生もその手続が順調に行われていたとかのことがあり、しかも会社の学生への説明を部長以上の高位者が行っていたというような具体的な状況下においては、内々定といえども学生が労働契約の締結を期待することができる内定への限りない接近がなされていると判断する余地がないではないであろう。かかる余地を承認するためには、使用者の側に正式採用の強い意思があったことを推定せしめる事実が明かにされねばなるまい。その使用者の強い意思に相応する、学生に対する働きかけの事実の存在もひつようであろう。
 以上述べたような要件を充足する殆ど例外的な場合にのみ、内々定を解雇と同視できることがあるかも知れないであろう。そうでなければ、内々定の取消は、学生に余計な期待をいだかせないようにする行為であるに過ぎないであろう。期待を抱かせないようにする意図は、夏の初めころには学生に分かるように通知されるべきである。漫然と時間の経過を見過ごし卒業間際に通知するなどは、内々定したことによって発生した会社と学生との間のごく希薄な関係から生ずる配慮義務に違反する行為と評価すべきこととなろう。学生の味方をするにしても、せいぜいこんな所に落ち着く話ではなかろうか。