錚吾労働法

一二二回 リストラ解雇
 会社をリストラをするから君たちはもう要らない。「リストラ」は、企業の再編成、企業の再構築という意味の英語の「リストラクチャリング」とかドイツ語の「ウムシュトルクツゥアイ―ルンク」と言われているものです。「リストラ解雇」という具合で、リストラと言うと解雇を連想する言葉になっています。しかし、本来の意味は、経営陣がボーっとしていると会社が発展しなくなり、最悪の場合には無くなってしまうから、常日頃から組織が無駄なく効率的に動くように目配りをし、必要ならば組織を刷新し、積極的に投資をし、雇用を増やしもするが、組織を防衛し、資金を引き揚げ、雇用を減少させるとか、企業のコンツェルン化、コングロマリット化、あるいは系列化を推進するため必要な措置を講じもすることを言うのです。「リストラ」は、こういう訳で企業が生存し続けるために行う様々な事柄を内包する言語表現なのです。「リストラ」と言うと「解雇」だと反応するのは、理解が浅いのだよ。
 しかし、わが国では、「リストラ」と言えば解雇を意味するとまで世上では言われてます。最初は「リス」のように優しく「転身」を説得し、最後は恐ろしい「トラ」のような顔をして「解雇だ」と言うから、「リストラ」と言うのだよ。そんな訳で、リストラはその本来の意味を失って、嫌な日本語ナンバーワンになったんだよ。企業経営者は、経営のプロとして、本来の意味の「リストラ」を追及しなければなりません。自分達の生きる道を探るのですから、労使は情報を共有し合って、共存しなければなりません。このような企業でないところで、青天の霹靂のように「あんたは明日から来なくていい」なんて頭の悪さ丸出しの振る舞いをする。こんな経営者?がいるのは、残念ですよ。中小企業で「リストラ」というと、まあこんなタイプが多いのです。立派な経営者は、いつも「リストラ」を心がけているから、解雇なんてなかなかするもんじゃない。
 「リストラ解雇」の有効または無効の判断基準たる4要件とか3要件については、もう述べてあるからそこを読んでちょうだい。「よそがやってるから、うちも」という意識の低い所には、まともな経営者はいないと思います。企業には、担ってもらわねばならない「社会的責務」というもんがあろうがな。「お前なんか工場ぶったんでどっかへ行ってしまえ。そうすりゃお前の不景気な顔見なくてすむわ」などと言う「風天の寅」さんの悪口雑言に「中小企業の経営者の苦しさがお前なんかに判ってたまるか」と言って落涙する「タコ社長」は、江戸川に身投げしたいという気持ちを抑えて金策に走り回っていても「解雇」なんてことは一度も言ったことが無い見上げた経営者だよな。「経営者」は、もっと映画を見て勉強しなきゃな。
 さて、リストラ解雇が断行されたとして、使用者の「君を解雇する」という意思表示の有効・無効の判定に際しては、使用者が次の関門を潜り抜けたかどうかによって判断することとなろう。
 「第1の関門」は、「その企業にリストラの必要性があったかどうか」である。
 「第2の関門」は、リストラの必要性があったとして、「リストラのために当該解雇以外で講じた措置の存否」である。
 「第3の関門」は、「被解雇者の所属していた部署のリストラ当時の状況(例えば不採算部門だったかどうか)」である。
 「第4の関門」は、「被解雇者を解雇しないでも良い可能性の存否」である。
 「第5の関門」は、「被解雇者と解雇を免れた労働者の異同」である。
 「第6の関門」は、「リストラ解雇の断行によって企業に生じる経済効果」である。
 「第7の関門」は、「会社が被解雇者に対してした再就職のあっせんや退職条件の整備の状況」、
 「第8の関門」は、「解雇に至るまでの被解雇者の残存権利の状況」である。
 これらの関門は、特に「大企業には跳びこして欲しい関門」として設定したものである。厳しすぎるという批判を浴びるだろうなんてことは、「想定内」だね。企業はリストラをしなければなりませんが、それによって生ずる被害を最低限に抑えることもリストラの重要な手段だと言ってよいのではないか。これらの関門に対して企業がどのように対処したか、または対処しなかったかによって、労働者に対する使用者の解雇の意思表示の有効・無効を決すればよいのではなかろうか。