錚吾労働法

一二三回 犯罪を理由とする解雇
 「犯罪」の嫌疑をかけられ「起訴」された労働者は、ただ単に起訴されたというだけに留まり、有罪・無罪が確定したわけではない。しかし、労働者は、逮捕、拘留、起訴されることによって出勤することが出来なくなる。刑事事件においては、有罪が確定するまでは「無罪推定」が働くという。しかし、この「無罪推定」を使用者も受け入れよと言って良いものなのか。いずれかのときに無罪となって出勤して来るだろうから、待っていてやろうなどという使用者はいないであろう。相当長期間にわたって労働出来ない労働者を、雇用し続けるよう求めるのは難しい。
 「起訴されたら、その者を休職とする」という公共部門の仕方は、「刑事事件に関し起訴された場合」職員の「意に反してこれを休職とすることができる」という定め(国公法79条、地公法28条2項)に根拠していた。かっての公社の規則にも、右に倣えで、同様な定めがあった。「厚労省の村木さん」のような場合もあるから、「起訴休職」制度の意義もあろう。逆に、村木さんを取り調べた検察官を起訴休職にするなんてことは、考えられもしないだろう。事案によっては「起訴免職」どころか「逮捕免職」で構わない場合があることを知るべきであろう。殺人の現行犯として逮捕されたような場合でも、同様であろう。だから、「犯罪の嫌疑」と言って、何が何でも「無罪推定」というのは、ナイーヴ過ぎる。「無罪推定」を強調しすぎると、裁判官も面白くないのだろう。「起訴された事件の90%以上が有罪」などと言って「有罪推定」したりするのである。
 女性の首を切断し、幼女を暴行したような者を解雇したからといって、使用者は責められることはない。就業規則に公務員法と同様な規定が置かれている事業所も、あるだろう。起訴されたから休職とするなんてことは、こういう場合を想定しているようには思えない。空港管制塔を滅茶苦茶に破壊した職員を起訴休職にするようなことも、国民の納得を得られたとは言えない。確かに、政治的に確信的な犯罪行為の場合があろう。犯罪として処罰されることと正義を貫くこととを、行為者は決して同列には扱わず、正義を貫くためには慫慂として縛につくという松蔭的な発想をする人かもしれない。いわゆる革命家には、このようなタイプがいるようである。こういう立派な人たちは、辞めてから、思想を行動に移したから、ここで述べているような次元の低い問題を引き起こすことはなかったのである。
 オーム真理教の麻原教祖に関して、有罪確定までは「無罪推定」が機能しているから「麻原さん」と言わなければおかしいんで、新聞などが「麻原」と呼び捨てにすることは許されないという労働法学者がいた。この学者は立派な人物で、お世話になっている人なのだが、酒場で自説の開陳に及んで、隣で飲んでいた新聞記者を立腹させてしまった。このときは「お宅(新聞記者)の方がまともです。この人(労働法学者)は変人なんだから」ということにして、仲直りさせたことがある。「学者も大変だなあ」と新聞記者は言っていました。わたしのことだったのか、変人の大労働法学者のことだったのか、今となっては不明です。
 犯罪または犯罪的な行為が解雇理由となるかという問題は、第1に、その行為の故に最早労務の提供が出来ない状態となっており、これから先も労働することが出来ないから、労働契約を維持する理由が無いという場合、第2に、犯罪または犯罪的な行為が会社の社会的評価を損なう程度のものであり、かかる行為を敢えて行った者への信頼も失ったという場合、第3に、犯罪または犯罪的行為が社内で行われて、会社としても厳しく対処せざるを得ない場合などに分けて考えて欲しい。