錚吾労働法

一二九回 企業の海外移転と解雇②
 昭和46年当時、アメリカとメキシコの国境地帯を訪れたことがある。当時のアメリカは、ドル防衛(ドルと金との兌換の停止)とブレトンウッズ体制崩壊(「ニクソンショック」)並びにヴェトナム戦争で疲弊し、自信喪失していた。企業は、高賃金の圧力にあえいでいた。国内の企業移転は、安い賃金の州を目指した。国外への企業移転先は、とりあえずはメキシコであった。アメリカ人達が、国境を往復してメキシコの工場で働いていた。他方、通貨問題、貿易不均衡問題、ローカルコンテンツ問題などの緩和のため、日本企業は、アメリカへと進出していった。
 「あいつは15年で、俺は20年だ」などと言う会話は、高校や大学の同窓会で話されるものだ。アメリカやドイツで会社のために働いたという話である。「中国で30年も苦労させられた」という者もいた。この連中は、上げ潮に乗って出て行ったから、話の内容に威勢の良さがある。これから出て行く若い労働者達は、上げ潮に乗って出て行くのではない。高い賃金と高い円という環境で自動車を生産して輸出し続けるのは、かなり難しい。高品質高機能の乗用車を生産する能力は、既に高い教育水準、低い賃金と安いウォンの韓国が実証している。国内生産し、競争する難しさを自動車会社は、痛感しているはずである。そして、これが、けん引産業の実態なのである。全国一律1000円最低賃金制を掲げる政府は、企業のランナウェイを事実上後押しすることになるだろう。
 国内の生産体制を維持しつつ、国外生産を増強するのは至難の業である。「国内1工場閉鎖、国外1工場稼働」方式は、下請け企業の連動をも考慮すれば、妥当なところであろう。「国内でも国外でも拡大生産」の時代ではない。国内労働市場は、国境を超える企業内労働市場での需給関係優先によって、シュリンクする可能性があろう。「変更的解約告知」制度は、このような事業環境の中で本格的に議論されることとなるだろう。「君の勤務地は何々国のどこどこで、賃金はこれだけだ。聞き入れてくれ。ダメなら辞めてくれ。この工場は閉鎖するから」というような具合の解雇事例が、増加するはずである。
 こういうことは起こってほしくないと考えてきたが、それも、環境次第である。このような解雇がこれまでにも実際に行われていたが、企業も上手く処理してきたので、顕在化しなかった。しかし、これからは、顕在化するであろう。
 日本経済は、難しい局面に入っており、政府・日銀の為替介入は単独ならば、資金の奔流に打ち負かされるかも知れない。投棄資金は、成長してマンモス化して、今や国家の力を凌駕しつつあるからである。解雇をこれまでとは異なる視点から観察しなければならなくなるかもしれない。動向を注視せねばならない。