錚吾労働法

一四二回 有期労働契約を規制すべきか④
 入口規制は、「有期労働契約の締結時に有期労働契約による」という理由が存在しなければならない。その「理由が存在しなければ、期間の定めを置くべきではない」。この考え方は、労働市場が拡大基調で労働者不足のときには、受け入れられ易いといえるかもしれないが、労働市場シュリンクしているときには、より一層のシュリンクを現出させることとなって、失業者数を増加させ、生活保護受給者の増大を招くことになりゃせんかという危惧がある。有期労働契約が好ましいか、好ましくないかという評価に関する議論は、そう簡単に結論を得られるものではない。
さてと、理由のある有期労働契約といっても、一三九回の有期労働契約が締結される場合を見れば、理由は様々でしょ。しかし、入口規制論のいう理由というのは理由一般じゃなくして、「特に有期労働契約でなくちゃならない理由」という意味だろうよ。そうすると、②、④、⑪の場合なんぞは、使用者側の有期労働契約への需要とか、一方的な都合ばかりを言ってるから理由が無いということになるのかな。有期にしろ無期にしろ、使用者が何の理由もなく契約を締結するなんてことはあり得ない。
 使用者たる者には雇用の安定という社会的責務を負担してもらわなければならないという至極当然の事柄から見ると、入口規制は、比較的短期間に労働関係の終結をもたらす有期労働契約は、この使用者の社会的責務が十分に果たされないという面があると言うのであろう。しかし、そうは言っても、その責務を自覚しつつ有期の機会を労働者に提供する意図を有している使用者が存在していることを否定は出来まいよ。最近の若者の中には、その心の奥底までは知る由もないが、「派遣でなくちゃイヤ」だとか、「有期でなければダメ」だとか言うのがいるんだね。これ、ちっとも珍しくない。入口規制は、こういう若者をどのように扱うのかな。
 ドイツ語で「ケッテンアルバイツフェアトゥラーク」と言う言葉があるんだが、これは「鎖のように繋がった有期労働契約」と言う意味で、「小西国友」という何事にも柳に風の(無神経と言う仲間もいたな)大先輩が「連鎖労働契約」という具合に訳してたな。これは、有期という形式のみが残存しているに過ぎない状態を表現しているんだね。この表現は、有期労働契約の繰り返しの更新の結果そのように見えるものを有期労働契約の範疇(難しい言葉だなあ。辞書ひいてや)から外したらどうや、と言っているんだな。実質論の次元で言うと、これを期間の定めのない労働契約と同視できるんじゃないかという具合の話になるんだな。入口規制してしまうと、事後的にこんな場合をどうするのかという実質論が封じ込まれてしまうかも知れないな。
 連合や労連などの労働者団体は、入口規制しなくちゃいかんという立場だろうし、厚生労働省もそうかも知れない。しかし、労働市場を狭くし、労働関係の入口で紛争を誘発しかねない入口規制論には、賛成できない。有期労働契約の自由もあるんだし、有期労働契約の消極的評価にも問題があるだろうな。それは、これまでに述べたことからも明らかじゃないのかな。入口規制と言ったって、いったん規制に踏み込んでしまえば、「有期労働契約=悪」の烙印が押されてしまうから、有期労働契約すれば、その翌日に期間の定めのない労働契約にしろとの要求がなされるかも知れない。労働市場の弾力化が、入口規制によって失われるかもしれない。入口規制論をジョブシェアリング実現の手段として述べているかもな。そうだとすると、現在の経済状況の中で主張するタイミングの悪さを自覚しないとね。それに、賃金の引き下げも視野に入っているのかな。それと、最賃一律千円の主張との関係はどうなるのかな。