錚吾労働法

一四五回 労働者派遣問題②
 昔の民法の教科書を読んでごらん。「労務供給契約」には「雇用、請負、委任」があって、これをハッキリと区別できないようでは法学部の学生じゃないぞてな語調で書いてあるだろ。偉大な民法の大学者の御存命の時代には、かくも隆々たる産業にまで成長し、表舞台で堂々たる役者振りとなった派遣業者は、存在していなかったんだ。今や全国津々浦々に派遣業者がいて、娘や息子の姿を見ないのに、派遣業者の看板やコマーシャルを毎日見るという変わりようだわさ。こんな風になってしまうと、考えてもこの区別が判らない学生こそが、法学部の学生に相応しいと言えるな。働いている労働者は、もっと判らないだろうな。俺は、一体どこの何者で、あちこちで何をしているのか。自己の帰属問題、行動の意味(存在と貢献の分散)について、哲学的に苦悩するだろうよ。派遣業者だって、何しているのか解らない者がいるだろうよ。カメラの組み立てに五〇人派遣してくれという仕事を受注して労働者を派遣した業者は、供給事業者なのか、請負業者なのか、派遣業者なのか。形式的なライセンスは別としてあなたはどれかな?と質問されたら、困るんじゃないかな。
 こんな訳で、労働者派遣問題は、簡単な問題とは言えそうもないぞ。労働者にとって何が問題かと言うと、我なすべしという自己の存在意義が希薄化してしまうことである。その先には、人格破壊が待っているかも知れない。法律ではこうなっとると言うのはよしとしても、その背後に非自覚的な暗闇が見える。これが、労働者派遣問題をいっそう難しい問題にしているんだよ。派遣労働者は、決して安心して労働しているわけではないだろう。働き方の多様性と言ったところで、労働者は、怪人20面相じゃないんだから、結局は職種を幾つもこなせるわけではない。労働と自由の両立などという甘言に乗ってしまった者達は、年齢を重ねるうちに正規雇用からあまりにも遠い位置に立ってしまっている自分達を見ている。
 派遣労働を含む非正規雇用労働者の増加は、経済のデフレ化にも貢献している。若い世代の可処分所得の減少は、若い労働力の減少とも重なって、商品の生産高の減少、過当競争、価格の下落、生産拠点の海外移転という負のサイクルの原因の一つになっているだろう。考えてもみたまえ、楽ちん仕事のわくわく職場に雇用される労働者なんているわけないでしょ。楽ちん仕事のわくわく職場なんて、あるわけがないだろう。労働者と言っても、A雇用したくない派遣労働者、B雇用しても非正規に止める労働者、C期間限定で正規雇用する労働者、D期間の定めなく正規雇用する労働者がいる。あと数年もすれば、A-Cの労働者の方がDの労働者よりも多数になるだろう。そして、Aの労働者数は、生産現場の空洞化を阻止する要因ともなり、促進する要因ともなりうる。産業界も労働者も、楽ちんを選択して、痛みを共有してチャレンジする気概に欠けている。最近の雇用政策は、歯の浮くような横文字カタカナで氾濫しているだろ。経団連ともあろうものが、何してんだろうね。