錚吾労働法

一六七回 INAXメンテナンス事件⑤
 これまで述べたような経過をたどって、事件は最高裁の判断に委ねらることになったんだよ。最高裁は、高裁判決(原判決)を破棄し、被上告人(会社)の控訴を棄却するとしました(最3小平成23・4・12)。要するに、一審判決を支持したわけ。その理由として、最高裁は、次のような諸点を指摘しているから、よく聞いてくれよ。
・CEは、会社の事業の遂行に不可欠な労働力として、その恒常的な確保のために会社の組織に組み入れられていた。
・会社はCEとの間の契約内容を一方的に決定していた。
・CEの報酬は、労務の提供の対価としての性質を有する。
・CEは、会社による修理補修等の依頼に応ずべき関係にあったものと見られる。
・CEは、会社の指定する業務遂行方法に従い、その指揮監督の下に労務の提供をし、その業務について場所的・時間的な一定の拘束を受けて いた。
 そして、これらの諸点を考慮すればCEの皆さんは、労組法上の労働者に当たると解するのが相当なのだと言ったんだよ。これで、この事件は、一件落着なんだが、これで肝を冷やしてる会社はたくさんあると思うよ。CEの皆さんのような働き方は、起業とか脱サラとかで、また一人会社の承認などのこともあって、急増したし、現にまだ増えつつあるんじゃないかな。このような働き方をしている皆さんが、これからは、ある時は独立自営業者、またある時は労組法上の労働者(そして、さらには労基法上の労働者)という具合に姿を変えていくことになる。労働法的な問題として登場するときには、労働法的な観点から問題を処理すれば足りるんだが、INAXメンテナンスのみならずだよ、INAXメンテナンスに類似する会社は、あちこちに存在してるんだろ。そういう会社が、肝を冷やしているわけよ。
 しかし、CEの皆さんが、INAXメンテナンスの労組法上の労働者に該当するというのは、CEの皆さんの処遇について団体的に交渉すべきだということに外ならないが、高裁と最高裁との結論の大いなる相違は、両者によって用意された殆どと言うより、全く同一の判断基準(着眼すべき事実)の評価が正反対に導かれたという相違に外ならないんだな。INAXメンテナンス側は、CEの皆さんが労基法上の労働者ではない以上、団体交渉に応ずべき立場にないという一貫した(かたくなな)主張を展開し続けてきたようである。しかし、問題だったのは、労基法上の労働者であるかどうかではなく、労組法上の労働者に当たるかどうかであったのであり、INAXメンテナンス側が終始そのように言い続けたことに対するイメージの悪さは避けがたかったことを指摘しておかねばならないだろうよ。INAXメンテナンスの主張・立証は労組法レベルでのそれであるべきであったと言えるのではないか。このことが、労組側の主張をより説得力あるものとすることになったのではなかろうか。
 敢えて言わせてもらうが、府労委から最高裁に至るまでの間、INAXメンテナンス側の主張は、労組の主張とがっぷりと組み合ったものではなかった。いわば、肩すかし戦術に終始していたのだと思うよ。その印象の悪さが、府労委、中労委、地裁、最高裁の判定者達の判断に影響しないわけはないよ。逆に言えばだよ、INAXメンテナンス側が、判断基準のそれぞれにそくして労組法上の労働者ではないことに主張・立証を集中していたのであれば、高裁が逆の判断をするくらいに本来は微妙な事件であったのだから、その主張が認められる余地はあったのじゃなかろうかな。
 いずれにせよ、この事件の今後への影響は「非常に大きい」と思いますな。同種事案が発生し、労使の主張・立証ががっぷり四つのときにどのような判断が導かれることとなるのかな。合同労組の組織化の動向と合わせて、今後の動向を注視せねばいけないよ。