錚吾労働法

一七〇回 企業の変動と労働関係①法人格の否認ーその1−
 企業は、その行っている事業を継続・拡張・廃止することができ、事業を譲渡・合併・分割することもできる。これらは、営業の自由の枠組みの中に収まっていることである。会社は、資金繰りの悪化により支払不能(いわゆる倒産)となって、裁判所の管理下に置かれ民事再生手続に入ることもあれば、清算手続に入ることもある。これらによって、労働者の地位が不安定なものとなるだけでなくり、労使関係もまた動揺することになる。労働者が在籍する企業は、常に動態的な状態にあると考えておくべきだろう。企業の寿命が何年だと議論は、企業が動態的なことを関係者に認識させるという意義を有するのかもしれない。企業は、変動する。その変動に従って、労働関係はどのように変化することとなるのか。ここでは、この問題を考えてみよう。
 A社は幾つかの部によって構成されているが、その内の1部門において営業損失が重なっていた。会社は、その影響が全社に及ぶことを恐れたため、その部門を独立させB社とした。その部門の仕事の従事していた労働者は、全員がA社から解雇となり、同日にB社に雇用された。その後B社の赤字は累積したため廃止され、労働関係解消されたた。このような事実関係の下では、解雇は有効なのか。B社の従業員は、A社の従業員であったときから組合活動に熱心に取り組んでいた。解雇は、不当労働行為であるのか。労働委員会が救済命令を発するして、意の処理のA社に発することができるのか、できないのか。B社が清算中である場合に、管財人に救済命令を発することができるのか。この場合の問題の処理の仕方としては、幾つかのものが考えられ得るだろう。考え方の基本を、最初に提示しておこう。
 ①一身同体論 これは、A社とB社は一身同体の関係であるとするものである。一身同体は、alter egoの日本語訳である。アルタ―・イ―ゴ
論は、二つの会社が実態的には一体である場合には、法人格が別だと言う主張を許さないものである。
 ②法人格否認論 これは、一心同体論に似て非なるものである。法人格否認論は、一方の法人格を否認し、他方の法人格のみを承認するものである。法人設立の自由も、法人格を濫用するものであったり、法人格を主張することが信義則により許されない場合には制約されるとする。
 わが国では、②の法人格否認の法理がよく知れられているだけでなく、労働委員会や裁判所のおいてよく用いられている。上の設例が、組合活動家を赤字の特定部門に配転など人事異動によって集合帰属させた上、会社設立にまでいたったと言う事例であるならば、不当労働行為事件を、法人格否認論に乗せて問題を処理してよいであろう。また、B社の経営不振により未払い賃金があるというときにも、同様であるべきであろう。川岸工業事件(仙台高判昭和45・3・26)は、賃金請求事件に法人格否認法理を適用した嚆矢であった。法人格は、法人設立の自由の行使の結果としてあるものであり、現に存在する法人格は、簡単に否認されてはならない。法人格は、取引、雇用、株主などの諸関係の結節点であるからである。従って、法人格そのものは、本来は対外的にも重要なものであるから、責任の帰属主体として維持されるように運用されるべきである。換言すれば、他の法人が負うべき責任を負わされることがあってはならない。これは、原則的な事柄である。
 したがって、法人格濫用を用いるに際しては、原則的な思考により得ない格別な事実が存在しなければならない。その格別な事実として、法人格の濫用または法人格を信義則上主張できない場合および法人格の形骸化が、論じられている。
 前者は、債務の履行を免れようとの不法な意思をもって他人の利益を害する結果を生じしめるために法人格を用いたという場合であるであろうから、法人格を挟んで主観的な害意と客観的な損害の発生が認められるのでなければならないであろう。確信的な債務不履行(賃金不払)の意思を実現するための法人格の利用は、法人格否認がなされてよい典型的な場合にあたることとなろう。また、それは、継続的な労働関係では特に重視される信義則違反として位置付けられてよいはずである。
 法人格の形骸化という言葉によって表現されている関係は、例えば親子会社関係にある子会社の法人格のベールの下に親会社の単なる部または課が見て取れるというような関係であろうか。このような関係ならば、形骸化と言うよりも、②の一身同体と言うほうがよいかもしれないであろう。実態のない幽霊会社を買い取って、そこに出向などさせてしまう場合は、形骸化とは言えず形骸そのものと言うことができる。会社としての中身が存在しないからである。
 法人格を否認して事案の解決を図ろうとする場合、その事案の中身が何かについて考察が及んでいなければならない。例えば、未払い賃金請求の場合、不当労働行為の救済として賃金の遡及払いの場合、同じく賃金の遡及払いと原職復帰の場合、解雇無効を前提とする就労請求の場合、解雇者の雇用請求の場合である。これらの場合を列挙したのは、法人格否認の法理がどの程度の範囲を包摂することができるのかを考えなくてはならないからである。