錚吾労働法

一七四回 新国立劇場運営財団事件②
 この事件の主人公のオペラ歌手Gがいかなる技量を有するかが、問われているわけではない。ここで問題とされているのは、Gが労組法3条の労働者なのかどうかである。労組法3条に該当するかどうかを判断するに際して、どのような角度からAの実際の状態を観察・分析したらよろしいかについては、必ずしも定説が形成されているとはいえない。最高裁のこの点についての言辞が得られたという意味において、本件には意義深いものがある。労委と裁判所の着眼点については、既に述べた。それらは、労委と裁判所のそれぞれの言説に即した着眼点であった。オペラ歌手Gが労組法3条の「労働者」たる「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入によって生活する者」に当たるかどうかを、どのような枠組みを用いて判断すべきかという問題である。「判断枠組」の設定は、必ずしも同一ではなかったのである。順次検討することとしよう。
 労組法3条の労働者の定義規定は、「職業の種類を問わず、賃金、給料その他これに準ずる収入」といっている。労基法11条の賃金の定義規定は、「労働の対償として使用者が労働者に支払うすべてのもの」といっている。「賃金、給料」は、「労働の対償として支払われるもの」であり、労働契約関係を前提としている。「その他これに準ずる収入」は、「職業の種類を問わず」と言っていることに連なっているのであり、「雇用契約関係を前提とした賃金・給料」のみならず、「雇用契約関係に類似または労働契約関係と同視することが可能な関係から生ずる収入」をも捉えるのである。先ずは、この区別を念頭に置いておくことにしよう。
 都労委は、オペラ歌手のGが労組法3条の労働者に該当するかどうかに関しては、次のように言っていた。
 「雇用契約下にある労務供給者及びこの者と同程度に団体交渉の保護を及ぼす必要性と適切性が認められる同種労務供給契約下にある者に当たるか否かで判断すべき」である。
 同様に、中労委は、次のように言っていた。
 「自己の計算に基づいて事業を営む自営業者の他は、他人の指図によって仕事をし、そのために提供した役務に対価が支払われている限り、広く労働者にあたると解される」。
 そして、都労委および中労委が示した着眼点(判断要素)として最も重視したのは、「指揮監督関係」の存否と「「指揮監督下にAが提供した役務と報酬との対価性」であったであろう。労基法の円の外側に労組法の同心円を書けばよく理解できるであろうが、指揮監督関係は労組法の円内でも労基法の円外で労基法に接しているか近い所と遠く離れている所があって、接近すればするほど強くなる。そして、「自己の計算に基づいて事業を営む自営業者」は、労組法の円の外側にある。いったいオペラ歌手のAの居所はどこであったのか。労基法の円内ならば「使用従属関係」という表現になるだろうから、Gはそこまでの者ではないという意味において「指揮監督」なる表現を用いているのであろう。「同程度」というのは、労基法の円に近節した労組法の円内という意味であろう。
 オペラ、舞踏、演劇の各監督とオペラ、バレエ、演劇の各研修所長は、財団組織上のポストであるが、同時に芸術家としては財団からは独立度の高い存在である。監督と研修所長は、何月何日に何々の演目のオペラを公演するとの立案をし、財団に提案し、そうして貰いたいとの依頼を財団から受け、その業務を行うに際しては、契約メンバーらを監督・研修した上で舞台の幕をあげるのであって、理事長以下の役員の指揮監督下にあるわけではないからである。都労委と中労委が言うところの「財団の指揮監督」は、実のところは財団から委託された「監督と研修所長による指揮監督」なのであろう。
 そうだとすれば、「オペラ監督らとオペラ歌手Gとの指揮監督関係」と「財団とオペラ歌手Gとの対価支払関係」とが、相互にコンディチオ・ジネ・クア・ノン的に折り重なって存在していた筈である。この種の財団は、文化振興策としての補助金交付行政の法技術的要素が濃厚で、スポンサー的性格をも有しているため、芸術家に対して使用者たる地位にあるとの意識が希薄である。Gを契約メンバーとしないこととした決定に、芸術監督及び研修所長を除く財団役員が芸術的な判断をしつつ関わることは、あり得ないことであろう。オペラ歌手Gに対する契約メンバーとしては契約しないとの決定を不当労働行為に当たらないとした労委の判断は、当然のこととはいえ、正当であったと言うほかないであろう。オペラ歌手Gについて不利益取扱が成り立つためには、Gの組合員資格を財団が嫌悪したのかどうか、財団嫌悪の意を監督らが受けて契約メンバーとはしなかったかどうかについての検討がなされねばならないからである。この点の検討がなされた形跡は、文章上では見られない。その意味で正当と言うのである。多少は検討したが、言及するに及ばぬ判断されたのだろう。