錚吾労働法

一九五回 労働契約法①合意の原則
 合意によって他人に雇われて他人のために働くという働き方は、人間の労働の仕方という観点からすると、自然から食糧を採取し、あるいは穀類・動物を捕獲しさえすればじゅうぶんに生活が維持できた時代はあったことを考えると。決して当然かったのことではない。「出雲国風土記」が伝える出雲は、正に豊穣な大地と海・湖沼・瀬の世界だった。食糧は、採取するばよいのであって、だれのものでもなかった。そこで夫婦は睦みあって子供を育てればよかった。労働するという観念すらなかった。必要な物を自然から採取して、住みかも造ったし、食糧も確保したのである。採取したものは、家族と集落とで完全平等に分配した。病人や老人は、採取や漁撈に出なくても、何ら区別もなく分配された。女は愛され、子供は慈しまれ、老人は」敬愛され、病人はめんどうを見られた。この総てを与えてくれる自然を所有する者は、いなかった。有産,無産の区別はなかった。
 そんな世界が、かって古代にあった。医師の仁先生は幕末にかえったが、誰ひとりとして古代へとバック・ツー・ザ・パーストなんて出来はしないのだ。ほとんど総ての者が、労働者となって、生きて行く世の中である。企業で働こうが、政府で働こうが、国内で働こうが、はたまた外国で働こうが、労働者は、他人たる使用者のために労働し、使用者がその労働の対償として支払う賃金を得て、そこでスキルアップしたり、キャリアを積んだりしていかないと、生活を維持する事ができない。憲法28条の「勤労者」は。現に労働場所を確保しているかどうかに関わりなく、社会的・経済的にそのような地位を占めている総ての者をいう。賃金労働をする者は、生活手段としての財貨をそのものとして自然から直接に取得するのではなく、財貨を交換的に取得する手段たる賃金(通貨)を得るために労働するのである。かかる労働者たる地位は、労働者が自己の自由な意思をもって、同じく自己の自由な意思を有する使用者と交渉し合意に至って初めて生ずるのである。労働者は、この合意なく労働を義務付けられることはなく、使用者は、同様に雇用を義務付けられることはない。
 労働契約は、使用者と労働者とが合意によって、どのような労働をどのようにして行うか、労働を金銭的にどの位のものとして評価して、どのような仕方で支払うべきかなどを決定するための契約である。労働契約の基礎を形成するのは、合意(agreement:consent: zustimmung)である。労働者と使用者が交渉して合意すべき事柄は、本来は、多岐に亘らざるを得ない。しかし、いかなるモデルを想定しつつ労働契約の内容に関して合意することになるのかが問題である。民法的な世界においては、雇用、請負、委任が区別されている。厳格に区別せよと言われても、現実の労働ではその区別が曖昧となっていることがある。一方では使用者の優位性が労働者に対する指揮命令によって際立っている場合もあるであろうし、他方では仕事のコンピュータライゼイション化の進行に伴う仕事の成果や結果に対する評価の重視が際立つ場合もある。この両極の間に、また労働契約関係の形成のヴァリエーションが存在している。
 いかなるモデルの労働関係を形成するにせよ、「合意」がその基礎となるのである。無理強い的な労働を内容とする契約は、「合意の基礎」を欠くものと判断されることとなろう。労働関係は、当事者の合意を基礎としているから「私法関係」である。「公務員の勤務関係」は、その勤務の内容や勤務条件が「法定(条例)事項」であり、公務員の「究極の使用者が国民・住民」であるため、「公法関係」であるとされる。憲法28条の「勤労者」には公務員も含まれるが、公務員は勤労者ではないとの有力説もあった(田上説)。M.Bullingerが行ったような公法と私法の区別(これとて一個の難問なのだが)を踏まえた労働関係の分析が必要であるが、ここでは措く。就業規則労働協約は、これから労働契約関係に入って行こうとしている労働者にとっては、他人が一方的に、または他人同士が合意して策定したものであるのに、何故に合意を旨とする労働契約の内容となるのか。それらを使用者が説明して、労働者その内容に納得して合意すれば良いが、この面での合意形成のための努力はほとんどなされないままなのである。
 労働者が労働協約を見たことがないと主張したという事例を経験したことはないが、就業規則の存否すら不明で、存在することを探知したものの使用者が見せようとしない事例を経験するのは、うんざりだが、しばしばである。中小企業の労働関係においては、労働組合の活動としての就業規則の労働者への周知という要求すらがなかなか通らないという実態がある。だから、労働契約の締結、展開において、また終結の一部において、労働者と使用者との間の合意の形成こそが、労働契約の現代化にとって必須の要請であると言わねばならない。労働契約において使用者が個々の労働者に対して約定した事柄、労働者が使用者に対して約定した事柄は、それぞれ可能な限り概念化され、数値化されなければならず、かつそれに従って使用者と労働者とにより「誠実」に履行されなければならない。
 労働者と使用者とが合意する事柄は、当たり前のことだが、相互に履行可能な事柄でなければならない。労働者を使用者に従属させるような内容の主従関係労働(身分)は、人間関係を自由な契約関係として構成する基本原則(公の秩序)に反するものとして許されない。「身分から契約へ(from status to contract)」と言ったのは、Henry Summner Mainだが、人間関係の支配服従関係から契約関係へと次第に変化して近代社会が成立した事情を言い表したのである。労働関係の変化もまた、これと軌を一にしてきた。「労働関係の内容を合意によって形成すべし」との原則は、労働契約法の最も根源的なルールである。
 「合意の原則」にいう合意は、当事者(使用者と労働者)の交渉によって達成されるべきものである。しかし、多数の労働者と労働契約を締結する使用者にとっては、労働契約の形式や内容を画一化しておかないと契約締結の実務に困難をきたすことになろう。また、有能かつ個性的な労働者との合意の達成に際しては、使用者は、非画一的かつ個別的な対応を求められることがあろう。画一的かつ定型的な契約内容の使用者からの提示を受け入れるという形での合意の達成も、合意形成の方式なのである。