錚吾労働法

一九九回 審問抜きの命令
 労働委員会が発足した初期に、岐阜県労働委員会は、調査後に審問を経ないで不当労働行為救済命令を発したことがあった。裁判所は、審問を経ないでした救済命令を違法であるとして取り消した。しかし、この判決によって審問を経ないで救済命令を発しうるかという問題は、沈潜しつつ未解決な問題として存続してきた。最近になってこの問題が久々に日の目をみるようになったのは、不当労働行為の迅速な救済の要請との関わりにおいてであった。
 調査の結果明らかになった事実関係に関して当事者間に争いがなく、単に不当労働行為法上の評価についての見解の相違があるに過ぎないような場合で、公益委員の心証が固まっているようなときに、敢えて審問まで行うのでなければならないか。敢えて結論を先に言うと、学生時代からそれは可能であると考えてきたのである。審問抜きの命令というと、多分、代理人(弁護士)の不興を買うであろう。そんなことは、百も承知の助で言っているのである。
 不当労働行為事件は、労委においては、必要的弁護士事件ではない。否それどころか、代理人がついてしまうと、民訴の処分権主義的な弁論に長々とつき合わされ、もう出すなと言っても審問最終日に書証が出されたり,あるいは上申書が出されたりするのである。両代理人や弁護士の公益委員との日程調整でも、事務局は、四苦八苦している。迅速な救済などは、遠くはるか先にかすんで見えているのである。また、審問期日の連続化、夜間審問などと言ったところで、相手にもされないのである。
 迅速化は、制度にとって不可欠な要請である。審問抜きの命令が可能となるように、中労委が労委規則にはっきり書くというのには、反対する理由がない。本来は、公益委員に付与されている広範な裁量権の行使の問題なのである。特にこの問題は、中労委の実務を正当化するためにも、逆にいえば審問しないで命令したから違法だと裁判所に言わせないために、規則に書き込んでおくという必要性があったということである。再審査にあっては、地労委から送付された書類によって、最早、審問する必要なしと中労委の公益委員が判断した時には、直ちに命令に及んでよいし、またそうしているのである。
 地労委においても、調査の後に、もはや審問の必要なしと公益委員が判断すれば、命令してよいという道が開かれることになった。しかし、中労委と地労委の立場は同じではないから、地労委はそう易々と審問抜きで命令に及んでよいとまではいえないのである。中労委は、地労委において調査審問した命令の再審査をするのである。基礎資料は、地労委から送付されたもので十分なはずである。地労委が命令を維持できないほどの資料の読み間違いをしていたり、あるいは新証拠が発見され、提出されて命令の正当性を揺るがすことになりかねないような場合には、審問をしなければならない。そうでなければ、中労委は、審問抜きの命令を発することができるし、またそうすべきなのである。JR事件の反省もあったのであろう。
 地労委の場では、調査終了時に審問の必要がないと判断されるケースは、稀にしか存在しないであろう。組合や組合員などはぶっ潰して当然だなどと使用者が言っておれば、地労委においても、審問は不必要である。こんな使用者には、迅速な上にも迅速な命令を発しなければならないからである。調査の段階で「これぞ不当労働行為の見本」だと判っているのに、延々と審問などするのは、労働委員会制度の無理解に発することである。
最後に言っておきたいのは、公益委員は裁量権をになっている。裁量権があるから、労委規則は、最小限を規定してあればよかった。裁判官や役人には、これは、ちょっと理解しにくいことであった。現状を考えると、規定しても差し支えないのではないか。賛成である。