錚吾労働法

二〇〇回 労働契約と期間②
 学生時代の話で恐縮であるが、「有期労働契約を更新し続けていると、期間の定めのない労働契約になってしまう」という理屈を理解できなかった。それは如何なる論拠があってのことなのか。学生時代に考えていた理屈は、「ただ漫然と明確な意思表示もなく期間の定めのある労働契約を更新してきた」と言っても、それはそう見えるだけで、「更新することについて契約当事者の意思が黙示的に表示されていた」のだから、「更新の実態」は「有期労働契約の再締結に尽きる」ものであるに過ぎない。従って、学生時代のわが考えでは、「期間の定めのある労働契約の期間の定めのない労働契約への変更」などはありようがないというものであった。そのような重大な変更に際しては、契約当事者の明確な意思の存否を問題としなければならない。たとえ裁判官であっても、契約自由の領域にあえてそれを無視して介入などするのは、出過ぎた振る舞いであって許されないと、考えていたのだった。現在では、このような青臭い思考回路を有する者は、まずいないと考えてよいだろう。いわゆる「雇止め」が許されるかどうかの問題については後述することとして、労働契約の期間についての現行法の確認から、話を始めることとする。
 労働基準法旧14条本文は、「労働契約は、期間の定めのないものを除き、一定の事業の完了に必要な期間を定めるもののほかは、一年を超える期間について締結してはならない」していた。有期労働契約の期間の上限を1年としたのは、民法の5年または10年の長期間労働契約が人身拘束などの温床となったこと、5年または10年の期間はこれを過ぎたときにはいつでも契約解除することができるという規律に過ぎず、上限を定めたものではなかったことから、労基法旧14条は、これを大幅に修正したのだった。
 労働基準法14条本文の期間の上限は、その後1年または3年とされ、さらに3年または5年とされ今日にいたっている。いわゆる規正緩和の一環として、改正されたのである。そのうちに、5年または10年になっても不思議に思わなくなるだろうよ。
労基法制定当時の14条は、有期労働契約の最長期間は1年だった。これは、いわゆる「足止め防止策」のための規定であった。だから、1年を超える期間を定めても、1年を超える部分は無効である。ただ、労働契約中に1年後に同一期間の契約を更新する旨の規定を置く意図が「足止め」と判断されるようなものでないのであれば、更新規定は無効と解しなくてもよかった。また、民法629条により、労働者の引き続きの就労に使用者が異議を述べない限り、労働者は、同一条件で雇用されているとみなされることができた。
 契約期間の最長が1年だということの意義だが、「足止め防止策」規定なので、労働者は契約期間に達したらいつでも辞職することができた。これは、労働者の「1年後の辞職の自由の確保」というべき効果であった。では、これと同様に、使用者にも「1年後の解雇の自由の確保」なる効果が、承認されてよいのかという問題があった。肯定すべきであったであろう。ただ、5年6年は見習い修行しないと労働者として一人前にならないのに、法が1年を超えちゃ駄目だと規定しているからやむを得ず1年にしていて、「足止め」の意図もないような場合もあったに相違ない。かかる場合にまで、使用者に「解雇の自由の確保」を承認しても良いのかに関しては、更新しないことが解雇としては無効だと判断される余地はあったというべきである。
 「足止め」などという前近代的な労働者への使用者の仕方は、徐々に解消された。と同時に、短期労働契約の最長が1年であることが、低賃金労働者層を固定化してしまったとか、更新更新の煩わしい契約実務を労使双方に押しつけるものだとか、最長1年の例外たる「一定の事業の完了に必要な期間を定める」労働契約は治山治水事業のようなものが想定されていて、普通の企業にとって使うことができないとかの意見を生みだしていったのであった。他面、この規定は、「臨時工」や「期間工」という企業や農業従事者にとっては好都合な働き方を生みだすのに役立ったのだった。