錚吾労働法

二〇一回 労働契約と期間③
 有期労働契約の期間の上限が五年だということになると、勘ぐり癖のある者ならば、アメリカは対日改革要求の一環として何か言ってきていたのかなと思うに違いない。アメリカ人にとって、日本は働きやすい所ではない。期間限定的で、期間の上限が短すぎではなく、処遇についても満足が得られるようにしてもらいたいと、要求されてきたのではないのかという勘ぐりである。
 それは別にして、上限五年で足止めの予防などとは言えなくなった。従って、一年から三年、三年から五年と期間の上限が拡張された趣旨を、はっきりとさせなければならない。連続更新をめぐって発生する紛争の予防、短期雇用から長期雇用への変換の促進、非正規雇用の今以上の拡大の防止と正規雇用の拡大、均衡の原則の徹底化というようなところだろう。
 岐阜県労働委員会の871回総会において、事務局職員から労働契約法の改正に関する詳細な説明があった。新聞や事務局のサイトで発表してもらいたいと思った。そうしないと、つまり労働局ばかりに任せてないで、県も県内の労働者や中小企業の事業者に法改正の趣旨を伝えるよう積極的に動き、情報発信をすべきであろう。
 しかし、問題は、これで上手く行くのか、日本の労働関係が良くなるのかどうかであろう。実を言うと、筆者は、このようなやり方には感心しないのである。労働契約法を制定するという話が出てきたときに、大方の者は、心配しつつ自前の大法典が登場するのではないかと思った。しかし、自由な契約法にはなじまない規制主義が大手を振って歩くようになるのではないか。行政機関(労働基準局)が、私的労働契約法を制定し、改正する所管省となるのは、異常事態なのではないか。判例のリステイトメントなら、法条形式を採用するにしても、リステイトメントの範囲に収めておけばよかったものを。立法にまで及んだのは、禍根をのこすことになるのではないか。警告しておきたい。
 さて、法改正の第一は、2つ以上の有期労働契約が通算して5年を超える場合に、労働者が期間の定めのない労働契約の締結を使用者に申し込んだときに、使用者はそれを承諾したものとみなすという「みなし承諾」が導入された。「みなし」てしまうのだから、使用者には諾否の自由はない。有期労働契約者の権利行使の困難の除去のために、あるいは有期労働契約の乱用的な利用を抑制するために、「無期転換ルール」を設けると言うのは、論理の飛躍というべきであろう。権利行使を増大させる手段はないのか、乱用的な利用を抑制するその他の手段は、他にないのか。有給休暇を行使したら更新されなかったが、他に更新を拒否されるような理由が見当たらないのであれば、その他の有期労働契約者との対比において考えることとなるが、拒否権の乱用とすることが可能である。また、有期から無期への転換については、司法裁判所が個別的に判断してきたことである。だから、他の手段は存在している。それがあるのに、使用者の諾否の自由を無にしてしまうような改正は、立法論としては、誠に拙劣としか言いようがない。憲法違反の烙印を押される可能性すらあろう。
 労働者または使用者は、使用者または労働者に対して有期労働契約の無期労働契約への転換を申し込むことが出来る。解雇理由があるときに、解雇を回避しつつ、退職を確実にする手段として無期労働契約の有期労働契約への転換を合意する場合もありうる。家庭の事情などによっても、有期短時間労働への転換が労働者から求められることもありる。だから、相互転換の弾力性を確保しておく必要性もあるだろう。偽装派遣偽装請負については、真の使用者は誰かを追求すべきである。真の使用者に未払い賃金を支払わせたり、真の使用者に有給休暇の取得を認めさせたりするのは、監督行政の第一次的な任務である。監督行政は、この任務を果断に遂行すべきである。人手不足は否めないにせよ、監督行政がこの点で十分であったか検証すべきであろう。「みなす」のは、この意味において拙速なのではないか。