錚吾労働法

五二回 中間搾取の禁止から派遣法へ
 労基法6条は、「中間搾取」してはならないとしています。「口入屋」とか「口入稼業」などと言って、労働場所を周旋して荒稼ぎをしていた人間が多数いて、少女を事実上売りとばしたり、男をタコ部屋に押し込めて暴力的支配の下で働かせるなどをしていたのです。相当の悪人でないとこういうことは出来ませんが、長年行われていたのです。こんなことは働く者を食い物にする悪辣極まりない行為なので、労基法6条と職安法とで、中間搾取を労働市場から排除することにしたのでした。
 昭和22年に至って、職安法44条は、「労働者供給事業の原則禁止」と労働者供給事業者から供給される労働者を労働させることを禁止し、国と労働組合にのみ、職業あっせんを許容するということにしたのです。事実上、国が職業あっせんを独占的に行うことになったんです。というのも、そのような事業を労働組合は行わなかったからです。労働組合に職業あっせんのチャンスを与えたのは、ユニオン・ショップやクローズド・ショップとの関わりを考えたからだったのじゃないかな、と思います。 
 労基法6条の「他人の就業に介入し」の意味はと言うと、労働関係の当事者以外の第三者が介入して、労働関係の開始、存続などについて媒介や周旋をすることを言います。が、売春業者への周旋では、犯罪の成立が問題となるので、周旋と売春行為に因果関係の存することが必要となりますよ。
 昭和60年に職安法44条は、いわゆる労働者派遣法によって事実上変容させられました。派遣業を公式に認めてしまえば、企業がリストラをしやすくなったり、景気の動向に合わせた雇用調整の迅速化の期待が高まることになりますから、当然のこととして、製造業への派遣の解禁が産業界から期待されることとなったのです。
 派遣法が導入された当時は、重厚長大的な技術から軽小短薄的技術への転換点であったため、新技術を有する若手労働者にとっては超売り手市場であり、特定企業に就職するよりかは、高い収入を得るためには派遣により良いチャンスがあると考えたようですし、受け入れ企業も新技術保有者に高い報酬を支払う用意があったのです。しかし、新技術などすぐに企業が使いこなす当たり前の技術になるのに、そんなに時間がかかることはなかったのでした。コンピューターのキーを叩くなどは、今や誰でも出来る単純労働だということになっています。
 時代の変化は、途方もなく早いのです。逆に、本当の高度技術を数学的に構築し、説明することのできる者は、自ら起業する外なく、企業に入っても理解されないでしょう。そのような有望な若者は、相当数いると思います。産業界は、視野を広くして、若者に資本注入する度量を発揮しなければならなくなるでしょう。これを怠っては駄目なんだよ。特に経団連の皆さんは、このことを真剣に考えなさいよ。  派遣は、もう若者に夢を与えることは出来ないのです。派遣は、低賃金、失業の危機、貧困層の形成という好ましくない問題の温床となっています。単純労働は派遣でまかなうという動きは、派遣の製造業への解禁によって、一挙に加速させられました。失業・派遣・失業・派遣の繰り返しは、考えようによっては雇用保険の給付もあるから気楽な稼業かも知れない。しかし、人間が帰属場所を失うことは、しばしば人格破壊の危機に直面することにもなる。国会で議論もしないで製造業への派遣解禁となったことを、我々は、忘れてはいけないし、そこに官僚と議員の質的低下の進行を見てとるべきでしょう。大卒新卒よりも、今や派遣のほうが安いから、就職率低くなるのは当たり前だな。大学生の不勉強は、何ともならないところまで来てるよ。こうなったら、もうおしまいだよ。やんなっちゃうよ。