錚吾労働法

一七九回 黙示の意思表示と労働契約①
 黙示の意思表示によって契約が締結される可能性は、否定されるものではない。しかし、誤解のないようにしなければならない。それは、沈黙と黙示は違うということである。ただ沈黙しているだけで、何の表示行為もない状態から、権利を主張し、義務の履行を求めることができる契約が生ずることはない。このような意味において、黙示の意思表示を語る実益が無いというのであれば、その通りであろう。先ずは、原則的な事柄を確認することから始めよう。
 意思表示をするときには、意思表示者の内心が表示され、外部に向けて認識ができるようにしなければならない。意思をハッキリとさせる場合、人は、通常は、口頭または文書でもってそうするが、黙示的な行為、つまり推断的または帰結的な行為によってもおこなわれることがあると理解されてきた。単なる沈黙は、肯定でもなく、否定でもないのであり、そこには意思表示は存在しないと言ってよいであろう。要するに、ひとの意思表示には、「口頭による意思表示」、「文書による意思表示」、それに「推断的行為(による意思表示)」の三種類があると考えればよいであろう。黙示の意思表示は、この推断的行為をいうものである。オークション会場で挙手すれば、購入したいという意思を表示したことになる。知人に挙手をすれば、それは挨拶である。推断的行為は、この例から判然とするであろうが、法的効果を意欲していることを相手に伝達することができる動作なのである。従って、推断的行為には意思の表示力が具備されているのである。
 黙示の意思表示論とは、特定の場所や特定の状況での身ぶり、しぐさ、その他の身体的な動作がその身ぶり等をした者の内心の意思を表示することがあるということをいう。公共交通機関の利用者と公共交通機関を営む会社の関係に口頭または文書による契約の締結と乗車の権利並びに運送義務という法的構成を是非とも必要なことだとすれば、バスの運行は不可能になってしまうに相違ない。停車させる行為、ドアを開ける行為、乗車する行為、降車する行為、運賃を支払う行為という一連の行為は、運送契約の締結から運送義務の履行までを黙示に行っている実例であり、それぞれの行為は、典型的な推断的行為であるということができる。公共交通機関においては、原則として、乗車拒否が出来ない。この事実は、乗せないという口頭による明示の意思表示は、乗車するという黙示の推断的行為によって退けられるという印象的な(意外な)結果を我々に知らしめているのである。
 上の意外な結果にも関わらず、表示主義は意思表示の明確性、明瞭性をよしとしているのである。だから関係者の行為の仕方が一定の法律行為的な意思に基づく帰結を承認することとなるかもしれないが、当の関係者が法律行為的な意思がない旨を明瞭に説明しているようなときには、意思表示の一般原則に立ち返って、黙示の意思表示の法的効果の発生を阻止することが適切であると理解すべきではなかろうか。
表示意欲が無いとか法的に縛られる意欲がない例外的な推断行為が意思表示として扱われるのであれば、それは特定の表示内容への信頼がその受け手に誤って生ずることとなった行為者の責任だとされるからである。表示意識、法的拘束の意思あるいは取引の意思に欠けるところがあっても、意思表示が存在するとされることもあるであろう。表示者が取引に必要とされる注意をなすに際して、その表示が信義誠実や取引上の信義に従えば意思表示として扱われることを認識することも、回避することもできたし、その受けてもそのように理解していたという場合が、それにあたるであろう。
 継続的な契約関係の場合には、推断的行為による関係の継続が承認されることがあろう。例えば、賃貸借関係の期限が過ぎているのに、賃貸人が目的物の賃料を支払い、賃貸人がそれを受領する場合には、少なくともその限りで賃貸借関係は延長されているのである。この場合には、契約当事者の双方が、推断的行為をその相手方に対して行っており、かつそれを受領し合い、承諾し合っている関係になろう。