錚吾労働法

二〇三回 労働契約と期間⑤
 抗がん剤は、生体を弱めることがある。「みなし」規定の導入には、この危険があることを縷々述べてきた。しかし、そのこととは別に、法の規律は、正確に知っておかれるべきである。以下、簡単に述べておくこととする。

 1 「有期契約労働者とは」 雇用期間の定めのない労働契約によりフルタイムで雇用されている労働者(正規労働者という)と同じくフルタイムで雇用されているが、雇用期間の定めがある労働契約を使用者との間に締結している者を「有期契約労働者」という。
 有期契約労働者の内、フルタイムでなく短時間労働に従事する労働者を「有期短時間契約労働者」という。有期契約労働者と有期短時間契約労働者を合わせて、「非正規労働者」という。契約社員、アルバイト、パート、嘱託などと言われている労働者は、有期短時間契約労働者であることが多い。派遣社員は、その使用者(派遣業者)との関係では、正規労働者の場合もあれば、非正規労働者の場合もある。
 2 「法律の適用関係」 有期契約労働者、有期短時間契約労働者に対しても、正規労働者と同様に、労働基準法、労働契約法、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保に関する法律、育児休業、介護休業等育児又は介護を行う労働者の福祉に関する法律、労働安全衛生法職業安定法の適用がある。パート労働者には、パート法の適用がある。
 3 「有期契約労働者の職業的安定の要請」 4月1日が入社日で、翌年の3月31日が退職日である。1年の有期契約労働者は、このような職業生活をしているのである。翌年の4月1日には、失業者となる可能性が高い。有期契約によっては、夏季・年末一時金が支払われないのが普通であり、経済的な安定を得るのが困難である。わが国の労働者の中には、このような経済的な不安定の下で失業を心配しながら労働する非正規労働者がいて、その数は、年々増加しつつある。かくては、一方では、使用者が不安定雇用者の増大が一時時的な企業の収益に役だったにせよ、国民全体の購買力の低下というブーメランに痛手を被るということに気づくことなくしては、また他方では、労働者が自己の労働力の質的向上に努め、自己の労働によって他人の生活も支えられており、企業社会の発展もまた自分たちの労働に依存することに気付くことなくしては、わが国の将来をすら展望できないという状態に立ち至ることになる。これ以上は、不安定雇用を増やしてはならない。実は、改革の王道は、人づくり教育にある。様々な教育機会を創出し、望むときにそれにアクセスすることが出来るという意味での教育のチャンスが不断に存在する社会でなければならぬ。
 4 「有期契約の内容の明確化」 有期契約を締結しようとする当事者は、労働契約の期間、更新の有無について合意しなければならない。労働者の募集者は、その募集に当たって、期間を書面または電子メールによって明示せねばならず、契約を締結するに際しては、期間にかんする事項を書面によって明示せねばならない。有期契約は、期間の満了によって終了する。従って、引き続き労働の機会があるかどうかが、労働者にとって重要な問題となる。有期労働契約の」締結時に、契約の更新と更新の有無と判断基準についても明示することとされてきた(雇止め告示1条)。
 5 「契約期間と契約更新」 非正規労働者の不安定な地位をより不安定にするような期間の設定の仕方は、避けるべきである(労働契約法17条2項)。1年の期間を2月契約で6回更新するようなことである。最初から1年の有期契約とすべきである。不必要なコマ切れ更新は、不法行為となる余地がある。更新は、強要されてはならない。契約期間は、更新時に労働者の容貌を聴取して、より長くするよう勤めるのが望ましい(雇い止め告示4条)。
 6 「有期契約期間中の解雇」 有期契約は、基本的に短期間契約である。例えば、3箇月の期間で更新のない契約の場合には、労働者の3箇月間の労働機会にたいする期待は一般的に高いものと思われる。1年間の場合であっても、同様である。特に短期間契約を希望することについて労働者個人に特有の」諸利益が存する場合は当然として、短期間雇用を積み上げて(更新に期待をして)働いている労働者にとっては、その期間中における解雇は、厳しい結果をもたらすこととなる。解雇を相当とする事情が労働者に存する場合は別として、そうでない場合には、使用者に解雇権の濫用ありと推定されるべきである。従って、有期契約期間中の解雇については、使用者はそうしないことについて特に社会的に要請されていると、買いすべきである。有期契約でも、ごく短期のものから比較的長期のもの(3年とか5年の期間のもの)まであるが、より短期のものについては、この社会的要請がより強く求められると言うべきである。労働契約法17条の解雇禁止規定は、しかし、このような相違を超越して解雇することが出来ないとするものである。
 7 「有期労働契約の更新」 「こま切れ更新」は、労働契約法17条2項の使用者に課せられた配慮義務の懈怠であり、違法と考えられる。更新拒否の効果は、解雇の場合と大差がない。従って、この効果を和らげるため、労働者による更新の申し込みについて使用者が従前どうりの契約内容の有期契約について承諾したものとみなすこととした。無論、この承諾みなしは、当該の有期契約の更新が(その他の労働者による同一内容の有期契約の締結が計画されている場合を含む)行われるものだという前提が必要である。更新拒絶は、解雇の場合と大差がないため、労働契約法18条本文は、解雇無効の判断基準を踏襲して、みなし承諾を導入しているのである。みなし承諾に反する使用者の行為は、私法上、みなしに従って賃金の支払い義務を発生せしめることとなる。みなし承諾がなされるための要件は、同条1号2号に定められてある野で参照されたい。
 8 「有期契約の無期契約への転換」 同一の使用者との間において、労働者が締結した有期契約が、一回以上更新されて、通算してその全期間が5年を超えるばあいには、有期契約の無期契約へ転換が実現することがある。そのために満たされねばならない要件は、①使用者は同一の使用者であること、②有期契約の通算期間が5年を超えること、③現在の有期契約が満了する日までの間に無期契約への転換の申込をすること、の三点である(労働契約法18条1項)。ただし、通算期間の計算にあたっては、それが6月に満たなければ空白期間を算入することとなっているので注意を要する。またそれが、1年に満たない場合については、その2分の1の期間を」基礎として省令で定める期間を算入することとしているので、さらなる注意を要する(労働契約法18条2項)以上の要件を充足し、計算方法で5年を超える場合には、使用者は、無期契約の申し込みを承諾したものとみなされる(みなし承諾)。
 9 「均等の原則の徹底化」 みなし承諾によって有期契約から無期契約へと転換する場合に、転換前の有期契約の終了に翌日から無期契約が展開することとなる。この場合、労働条件は、原則として、契約期間を除き前有期契約のそれと同一である(労働契約法18条)。5年の有期契約が満了するときには、以上に述べた「五年を超える」という要件は満たされないから、ここに述べたこととは、関わりがない。5年の有期契約を更新する場合については、3年の有期契約を一回更新すれば、次の期間満了以前にみなし承諾の要件を満たすことになることとのアンバランスをどうしたらよいか。均等原則を徹底すると言うのであれば、実は、この点が最も重要なのだが、改正法はこの点については考慮しなかった。労働契約法20条の規定そのものは、読めば理解できる内容である。
 10 「5年後のみなし承諾の発効」 有期契約から無期契約へのみなし承諾の規定は、5年後には実際に適用されることになる。それまでの間に、使用者の体力の回復、日本経済のデフレからの脱却、消費者の購買力の回復が見込めないと、有期契約市場がシュリンクしてしまう可能性もあろう。そのときにどうするかという問題は、早急に検討されねばならない。
 11 「厚労省の担当者へ」 この改正は、極めて重要な改正である。改正によって影響を受ける者、有期契約労働者は、括弧書きが多く、句読点の少ない役所然とした文章を理解するのが厄介なのである。もう少し、読む人間が理解出来るきちんとした文章にしてもらえないだろうか。きれいな文章でなくてもよいから、理解が容易な文章を」書いてほしいのである。当方も、偉そうには言えないが。    

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二〇二回 労働契約と期間④
 「みなし」規定を入れてしまった以上、労働者も使用者も、「みなし」が効果を発揮するよう、あるいは発揮しないよう工夫を講ずることとなるだろう。労働者保護を徹底したつもりがそうならないというのが、一番こまるのである。あまりにも長期のデフレによる企業体力の減衰が、有期労働契約を増加させ、非正規労働者を激増させてきた。エコポイント制度も環境減税も、また派遣業解禁もまた、企業に体力を復元させることは出来なかった。J党政権もM党政権も、産業界を減衰から立ちなおさせることが出来なかった。経営者は、安易に走って、技術研究開発投資額を抑えて小粒化した。しかし、言いたくはないが、若者が勉強しなくなったし、勤労意欲を低下させてきた。だから、現状がある。
 そして、労働市場は、狭小化してきたのである。派遣業を解禁して、派遣労働者の活用を薦めたのは、どの役所だったのか。解禁が、企業を安易に走らせてしまった。そして、形式的には有期短期間雇用であっても、連続的更新した契約関係は連鎖労働契約とされ、期間の定めのない契約と同視してよいとか、真のまたは実質的な使用者は派遣労働者の受け手たる企業であるという実態論は、裁判所がしてきたことであった。しかし、その裁判所と言えども、派遣ではない期間の定めのない直接雇用の「黙示の意思表示」を使用者側に認定することには、極めて慎重であり続けてきたのである。要件を充足せねばならないにせよ、「みなし」は、一挙にこの壁を突破してしまう果断な妙手として考案されたに違いない。しかも、通算期間の計算は、法所定の空白期間を除去して通算すると言うのであり、使用者の雇用意欲をそいでしまう可能性もあろう。リステイトメントの域を、優に越えてしまった。
 要件を充足した労働者が請求すれば、使用者に諾否の自由はないのだから、翌日には期間の定めのない労働契約関係が発効することになる。有期の上限たる5年契約の場合には、5年経過の翌日には、労働関係は存在しなくなる。使用者は、このことから生ずるであろう不満と紛争を遠くない将来の出来ごととして、覚悟しておくべきである。将来の労働者は、自覚的に自己投資して、自分の労働力・能力開発に務めるべきである。スキルアップ、キャリアアップに熱心な労働者が、各種教育機関での学習を労働とを両立させるために、有期の短時間労働契約を選択し、有給休暇権の行使にも熱心だという場合もある。このようにして対世的に自己を承認させようとする労働者は、自己の能力と処遇に関して差別化を求めているので、転職に躊躇がないのである。一口に労働者といっても、一様ではないのである。形式的には労働契約であっても、実質的には企業内の事業者であるような、企業に対して独立度の高い仕事の仕方も、登場しつつある。今回の法改正とは別のことだが、この変化も頭に入れておかねばならない。
 司令塔を日本に残し、工場を海外で稼働させ、グローバルに売っていくような企業も増加するだろう。エネルギーコストの上昇は、この動きを加速させるかもしれない。日本の企業環境は、変化を免れない。こうした中での法改正であるから、厚生労働省か書いている改正の解説を馬鹿正直に受け取る労働者も使用者もそう多くはいないであろう。これから先、何が起こるのか。正規労働者数は、もっと減少するだろう。学卒者の就職の困難度の上昇と、非正規労働者としての就職の増加は避けられない。解雇をめぐっての労働紛争は、却って増加するだろう。均衡原則との関係で、退職金支給の最短労働期間条項が5年に向けて徐々に改正されることにもなるだろう。「みなし」で6年目から無期間労働契約になるのだから、これに合わせて、全無期間労働者も6年を満了してから退職金が支給されるように就業規則が改正される可能性もある。就業規則変更に関する規定に変更はなくとも、この可能性を否定することはできないであろう。
短期の有期労働契約の期間中の解雇は、抑制されねばならず、また、解雇を客観的に合理的な理由がなく社会的に相当でないとされる可能性がある場合は無効とすとされているが、それでも解雇の事例は増加するに相違ない。「みなす」というような労働契約関係に激変をもたらすような変更を実施するに際しては、社会に対する十分な事前の説明がなされねばならない。少なくとも、使用者団体、労働組合などの関係団体には、何度も説明する機会が設けられねばならなかった。議会の先生方も、選挙が近いからなのか、真剣に議論した風でもない。日本が働きやすく、失業者が少なく、労働者が家族共々幸福になる社会になるのであれば、、また予兆できるのであれば、こんなゴタゴタしたことを記述することはない。

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二〇一回 労働契約と期間③
 有期労働契約の期間の上限が五年だということになると、勘ぐり癖のある者ならば、アメリカは対日改革要求の一環として何か言ってきていたのかなと思うに違いない。アメリカ人にとって、日本は働きやすい所ではない。期間限定的で、期間の上限が短すぎではなく、処遇についても満足が得られるようにしてもらいたいと、要求されてきたのではないのかという勘ぐりである。
 それは別にして、上限五年で足止めの予防などとは言えなくなった。従って、一年から三年、三年から五年と期間の上限が拡張された趣旨を、はっきりとさせなければならない。連続更新をめぐって発生する紛争の予防、短期雇用から長期雇用への変換の促進、非正規雇用の今以上の拡大の防止と正規雇用の拡大、均衡の原則の徹底化というようなところだろう。
 岐阜県労働委員会の871回総会において、事務局職員から労働契約法の改正に関する詳細な説明があった。新聞や事務局のサイトで発表してもらいたいと思った。そうしないと、つまり労働局ばかりに任せてないで、県も県内の労働者や中小企業の事業者に法改正の趣旨を伝えるよう積極的に動き、情報発信をすべきであろう。
 しかし、問題は、これで上手く行くのか、日本の労働関係が良くなるのかどうかであろう。実を言うと、筆者は、このようなやり方には感心しないのである。労働契約法を制定するという話が出てきたときに、大方の者は、心配しつつ自前の大法典が登場するのではないかと思った。しかし、自由な契約法にはなじまない規制主義が大手を振って歩くようになるのではないか。行政機関(労働基準局)が、私的労働契約法を制定し、改正する所管省となるのは、異常事態なのではないか。判例のリステイトメントなら、法条形式を採用するにしても、リステイトメントの範囲に収めておけばよかったものを。立法にまで及んだのは、禍根をのこすことになるのではないか。警告しておきたい。
 さて、法改正の第一は、2つ以上の有期労働契約が通算して5年を超える場合に、労働者が期間の定めのない労働契約の締結を使用者に申し込んだときに、使用者はそれを承諾したものとみなすという「みなし承諾」が導入された。「みなし」てしまうのだから、使用者には諾否の自由はない。有期労働契約者の権利行使の困難の除去のために、あるいは有期労働契約の乱用的な利用を抑制するために、「無期転換ルール」を設けると言うのは、論理の飛躍というべきであろう。権利行使を増大させる手段はないのか、乱用的な利用を抑制するその他の手段は、他にないのか。有給休暇を行使したら更新されなかったが、他に更新を拒否されるような理由が見当たらないのであれば、その他の有期労働契約者との対比において考えることとなるが、拒否権の乱用とすることが可能である。また、有期から無期への転換については、司法裁判所が個別的に判断してきたことである。だから、他の手段は存在している。それがあるのに、使用者の諾否の自由を無にしてしまうような改正は、立法論としては、誠に拙劣としか言いようがない。憲法違反の烙印を押される可能性すらあろう。
 労働者または使用者は、使用者または労働者に対して有期労働契約の無期労働契約への転換を申し込むことが出来る。解雇理由があるときに、解雇を回避しつつ、退職を確実にする手段として無期労働契約の有期労働契約への転換を合意する場合もありうる。家庭の事情などによっても、有期短時間労働への転換が労働者から求められることもありる。だから、相互転換の弾力性を確保しておく必要性もあるだろう。偽装派遣偽装請負については、真の使用者は誰かを追求すべきである。真の使用者に未払い賃金を支払わせたり、真の使用者に有給休暇の取得を認めさせたりするのは、監督行政の第一次的な任務である。監督行政は、この任務を果断に遂行すべきである。人手不足は否めないにせよ、監督行政がこの点で十分であったか検証すべきであろう。「みなす」のは、この意味において拙速なのではないか。

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二〇〇回 労働契約と期間②
 学生時代の話で恐縮であるが、「有期労働契約を更新し続けていると、期間の定めのない労働契約になってしまう」という理屈を理解できなかった。それは如何なる論拠があってのことなのか。学生時代に考えていた理屈は、「ただ漫然と明確な意思表示もなく期間の定めのある労働契約を更新してきた」と言っても、それはそう見えるだけで、「更新することについて契約当事者の意思が黙示的に表示されていた」のだから、「更新の実態」は「有期労働契約の再締結に尽きる」ものであるに過ぎない。従って、学生時代のわが考えでは、「期間の定めのある労働契約の期間の定めのない労働契約への変更」などはありようがないというものであった。そのような重大な変更に際しては、契約当事者の明確な意思の存否を問題としなければならない。たとえ裁判官であっても、契約自由の領域にあえてそれを無視して介入などするのは、出過ぎた振る舞いであって許されないと、考えていたのだった。現在では、このような青臭い思考回路を有する者は、まずいないと考えてよいだろう。いわゆる「雇止め」が許されるかどうかの問題については後述することとして、労働契約の期間についての現行法の確認から、話を始めることとする。
 労働基準法旧14条本文は、「労働契約は、期間の定めのないものを除き、一定の事業の完了に必要な期間を定めるもののほかは、一年を超える期間について締結してはならない」していた。有期労働契約の期間の上限を1年としたのは、民法の5年または10年の長期間労働契約が人身拘束などの温床となったこと、5年または10年の期間はこれを過ぎたときにはいつでも契約解除することができるという規律に過ぎず、上限を定めたものではなかったことから、労基法旧14条は、これを大幅に修正したのだった。
 労働基準法14条本文の期間の上限は、その後1年または3年とされ、さらに3年または5年とされ今日にいたっている。いわゆる規正緩和の一環として、改正されたのである。そのうちに、5年または10年になっても不思議に思わなくなるだろうよ。
労基法制定当時の14条は、有期労働契約の最長期間は1年だった。これは、いわゆる「足止め防止策」のための規定であった。だから、1年を超える期間を定めても、1年を超える部分は無効である。ただ、労働契約中に1年後に同一期間の契約を更新する旨の規定を置く意図が「足止め」と判断されるようなものでないのであれば、更新規定は無効と解しなくてもよかった。また、民法629条により、労働者の引き続きの就労に使用者が異議を述べない限り、労働者は、同一条件で雇用されているとみなされることができた。
 契約期間の最長が1年だということの意義だが、「足止め防止策」規定なので、労働者は契約期間に達したらいつでも辞職することができた。これは、労働者の「1年後の辞職の自由の確保」というべき効果であった。では、これと同様に、使用者にも「1年後の解雇の自由の確保」なる効果が、承認されてよいのかという問題があった。肯定すべきであったであろう。ただ、5年6年は見習い修行しないと労働者として一人前にならないのに、法が1年を超えちゃ駄目だと規定しているからやむを得ず1年にしていて、「足止め」の意図もないような場合もあったに相違ない。かかる場合にまで、使用者に「解雇の自由の確保」を承認しても良いのかに関しては、更新しないことが解雇としては無効だと判断される余地はあったというべきである。
 「足止め」などという前近代的な労働者への使用者の仕方は、徐々に解消された。と同時に、短期労働契約の最長が1年であることが、低賃金労働者層を固定化してしまったとか、更新更新の煩わしい契約実務を労使双方に押しつけるものだとか、最長1年の例外たる「一定の事業の完了に必要な期間を定める」労働契約は治山治水事業のようなものが想定されていて、普通の企業にとって使うことができないとかの意見を生みだしていったのであった。他面、この規定は、「臨時工」や「期間工」という企業や農業従事者にとっては好都合な働き方を生みだすのに役立ったのだった。

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一九九回 審問抜きの命令
 労働委員会が発足した初期に、岐阜県労働委員会は、調査後に審問を経ないで不当労働行為救済命令を発したことがあった。裁判所は、審問を経ないでした救済命令を違法であるとして取り消した。しかし、この判決によって審問を経ないで救済命令を発しうるかという問題は、沈潜しつつ未解決な問題として存続してきた。最近になってこの問題が久々に日の目をみるようになったのは、不当労働行為の迅速な救済の要請との関わりにおいてであった。
 調査の結果明らかになった事実関係に関して当事者間に争いがなく、単に不当労働行為法上の評価についての見解の相違があるに過ぎないような場合で、公益委員の心証が固まっているようなときに、敢えて審問まで行うのでなければならないか。敢えて結論を先に言うと、学生時代からそれは可能であると考えてきたのである。審問抜きの命令というと、多分、代理人(弁護士)の不興を買うであろう。そんなことは、百も承知の助で言っているのである。
 不当労働行為事件は、労委においては、必要的弁護士事件ではない。否それどころか、代理人がついてしまうと、民訴の処分権主義的な弁論に長々とつき合わされ、もう出すなと言っても審問最終日に書証が出されたり,あるいは上申書が出されたりするのである。両代理人や弁護士の公益委員との日程調整でも、事務局は、四苦八苦している。迅速な救済などは、遠くはるか先にかすんで見えているのである。また、審問期日の連続化、夜間審問などと言ったところで、相手にもされないのである。
 迅速化は、制度にとって不可欠な要請である。審問抜きの命令が可能となるように、中労委が労委規則にはっきり書くというのには、反対する理由がない。本来は、公益委員に付与されている広範な裁量権の行使の問題なのである。特にこの問題は、中労委の実務を正当化するためにも、逆にいえば審問しないで命令したから違法だと裁判所に言わせないために、規則に書き込んでおくという必要性があったということである。再審査にあっては、地労委から送付された書類によって、最早、審問する必要なしと中労委の公益委員が判断した時には、直ちに命令に及んでよいし、またそうしているのである。
 地労委においても、調査の後に、もはや審問の必要なしと公益委員が判断すれば、命令してよいという道が開かれることになった。しかし、中労委と地労委の立場は同じではないから、地労委はそう易々と審問抜きで命令に及んでよいとまではいえないのである。中労委は、地労委において調査審問した命令の再審査をするのである。基礎資料は、地労委から送付されたもので十分なはずである。地労委が命令を維持できないほどの資料の読み間違いをしていたり、あるいは新証拠が発見され、提出されて命令の正当性を揺るがすことになりかねないような場合には、審問をしなければならない。そうでなければ、中労委は、審問抜きの命令を発することができるし、またそうすべきなのである。JR事件の反省もあったのであろう。
 地労委の場では、調査終了時に審問の必要がないと判断されるケースは、稀にしか存在しないであろう。組合や組合員などはぶっ潰して当然だなどと使用者が言っておれば、地労委においても、審問は不必要である。こんな使用者には、迅速な上にも迅速な命令を発しなければならないからである。調査の段階で「これぞ不当労働行為の見本」だと判っているのに、延々と審問などするのは、労働委員会制度の無理解に発することである。
最後に言っておきたいのは、公益委員は裁量権をになっている。裁量権があるから、労委規則は、最小限を規定してあればよかった。裁判官や役人には、これは、ちょっと理解しにくいことであった。現状を考えると、規定しても差し支えないのではないか。賛成である。

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一九八回 労働契約④労働契約と期間
 かって、労働契約は、その期間を定めるときは、1年を超える期間を定めてはならないとされていた。労働者を雇用する使用者は労働者に対して(労働者の親とも結託して)何をしでかすか分からないという警戒感を、国も隠していなかったのである。岡谷で数年働けば、娘は父親に背負われて尾根超えして高山に帰郷することになるという小説「ああ野麦峠」の社会的衝撃は絶大であった。小説「蟹工船」も、同様であった。本当にそうであったのかは、検証されなければならない。現代でも、労働時間管理がでたらめであるため、若い労働者であっても死んでしまうような職場がある。そういうことを考えると、労働契約の期間の定めは、労働時間の定めと共に、重要な役割を担ってきたと言えるのである。期間の定めは、労働契約の当事者が合意して定めるべきことである。
 「期間の定めのない労働契約」は、
 (1)「労働契約を締結するときに労働契約期間に関する当事者の交渉が無かったとき」、
 (2)「期間の定めを契約に定めないことを当事者が合意したとき」、
 (3)「期間についての交渉を敢えて契約締結後とすることを合意したとき」、
 (4)「期間の定めに当事者が無知であったとき」などに生ずることになる。
 労働契約の期間の定めがなされていないと、一方では、労働者の不当な拘束の問題に通ずる恐れがあり、他方で労働契約の終了に関わる紛争の原因となる。従って、本来は期間の定めをすべきであるときには、明確な期間を設定し、労働者にその旨をよく理解させ(了解した旨の一文をとっておくのもよい)て合意するようにすべきである。(1)と(2)は、「期間の定めのない労働契約」が締結される典型的な例である。期間の定めのある労働契約か、それとも期間の定めのない労働契約であるかは、原則として、労働契約締結時に決定され、そのいづれかかの判断基準時もまた契約締結時である。(3)の場合は、労働契約の締結時に期間の定めをすることがなお難しいとき、例えば、不確定期日(労働契約を締結した目的ー工事の完成ー)を契約終了日と明記しておけば良いことである。工事の廃止の場合には、工事の完成はあり得ないこととなるが、契約終了の原因となる。
 労働者保護の観点から言うと、労働者が無理やりに拘束され、期間が長期に及ぶことは好ましいこととは言えなかった。しかし、労務者を[タコ部屋」に収容するとか、量で監禁同様にするとか、抗議すると暴行して抵抗しないようにするとか、病気になるまで働かされるとかのかってのおぞましい出来事は、ほとんど無くなっている。しかし、短期間に重労働や、長時間労働をさせ、それが原因となって精神的な疾病を得たり、あるいは自殺に追い込むなど悪辣な使用者が、登場してきている。「期間の定めのない労働契約」であっても「名ばかり管理職」の「サーヴィス残業」などという、事実上の「低賃金で短期使い捨て」の労務管理が大手を振って行われるようになってしまった。「居酒屋」、「弁当屋」、「エステ屋」、「解体屋」などなどの中には、市場から退却願いたい使用者がいるのではないかと、訝る最近である。

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一九七回 労働契約法③合意の原則
 構想段階では大法典となるはずであった労働契約法は、一読すればよく了解することが出来るだろうが、契約的思考では当たり前の「合意の原則」(1条)を真っ先に掲げている。しかし、この点は良いのだが、構想段階の大法典主義のために、「合理的な労働条件の決定または変更」とか、「労働者の保護を図りつつ」などと言って、就業規則を意識したのではないかと思われる部分や、労働者保護法を意識している言説が挟み込まれてしまっている。使用者のしばしば一方的に定める就業規則を就業条件の労働者に対する申込文書とまで契約的に再構成する意図はないはずであるから、このような文句を差し挟む必要はなかったと思う。また、労働契約の当事者、特に使用者に契約法レヴェルでの労働者保護を図る義務を課し得るかは疑問である。就業規則の一方的な不利益変更の効力やその他の労働者保護の目的に関しては、国による監視・監督行政の課題であるとともに(立法論では、自治体の権限とすることも選択肢だということを指摘しておきたい)、裁判所による有効・無効の判断に委ねられるべき問題であり、また労働基準法その他の労働者保護法の改革の問題として位置付けられるべきものである。
 労働契約法の次元においてのみ「合意の原則」を展開すべきものとすると、「誘引行為」から「締結」にいたる過程を記述したり、「内定」、「内々定」「[試用」、「配置」、「社内勤務」、「社外勤務」、「テレワーク」、「配置転換」、「出向」、「海外勤務」、「業績貢献評価」などについての諸規定もまた記述されなければならない。「出向」規定(14条)は、判例の枠組みを示しているのみであるが(「懲戒15条」、「解雇16条」についても同様)、「出向合意」をどのようにして達成するのかという契約レベルでの記述が必要なのである。就業規則に関しては、懲戒規定を含めていかにしてそれが契約内容として受容されることとなるのかに関する手続規定を欠くようでは、労働契約法制定の前後で何も変わっていないこととなるのではないか。解雇に関しても、解雇に至る以前の手続(解雇の可能性の事前告知手続、変更解約告知手続や、解雇の可能性の警告手続)を整備したり、解雇とは異なる合意解約への誘導を可能ならしめる規律を整備すべきであったのではなかろうか。
 労働契約法10条本文の定めは、これもまた判例を引き写したものであるが、これもまた裁判所の判断に委ねているだけである。ここに規定されている事柄を契約に書き込むことによって、就業規則を契約内在化することが出来る。9条の合意重視規定との関係を考慮すれば、そうすることが適切であろう。不利益と言うが、何を基準として不利益と言うべきかは、簡単ではない。賃金を引き下げて定年年齢を引き上げる場合は、不利益なのか。休日を増やして賃金を引き下げるのは、不利益か。不利益変更に関しても、何がそれに当たるかを当事者間で合意を形成することは、有益である。だから、労働条件の不利益変更に当たるかどうか、法的効力を生じる変更かどうかを、裁判所まかせにしたとしか思えない規定を置くのは、当事者の契約実務には関わりのない事柄であろう。わざわざ労働契約法を制定したにしては、判例のリステイトメントに止まっているのである。
 労働契約の締結に際しては、雇用期間、就労時間、休日、時間外労働の有無、時間外労働の賃金の割増率、一時金の有無とその計算方法、従事すべき職種と配転の有無、出向の有無、就業の態様、就業の場所その他に関する予めの合意をしておくことが望ましいとは言えるであろう。他方、労働関係を柔軟な構造にしておきたい当事者は、問題が生ずるに際して適時の事後的な合意を達成することを望むかもしれない。この場合、何が何でも細かな予めの合意を達成する必要はない。また、労働条件決定の当事者は、個々の労働者に限定されているわけではなく、労働組合もまた労働協約によって労働条件を決定する資格を有している。労働協約の重要な課題であると思うが、例えば、配転(異種配転、遠隔地配転を含む)、出向(在籍出向、転籍出向)について協約的な合意を達成しておくことは、個々の労働契約の内容にも関わるることなので、重要である。
 労働契約は、1日雇用や一回限りの短期雇用から、期間の定めのある雇用、期間の定めのない雇用、アルバイト雇用、契約社員雇用、パート雇用、派遣雇用などまでの様々な雇用の形態がある。それぞれの雇用形態に応じて、合意すべき事柄には種差があるはずである。それぞれの労働契約も形態に応じて何を当事者間において合意を達成すべきかを、きちんと考えておかねばならない。特に、使用者は、雇用のプロ中のプロなのであるから合意すべき事柄を明確に提示して、雇用対象者と交渉して合意を達成されたい。労働契約形態の説明の際に、より具体的に述べることとする。