錚吾労働法

七十回 原子炉事故と労働⑤
 毎時の被曝線量の設定は、自然界以外で放射線が実際に観測されるような環境での労働については悩ましい問題です。子佐古氏の内閣府参与辞任は、この問題の難しさを浮き彫りにしました。専門家だけではなく、現場の近隣住民だあるかどうかを問わず多くの人々の関心が集中している問題です。ましてや、原発労働者及び近隣の住民、それに放射能ある物質の飛散に曝されている地域の住民にとっては、人ごとでは済まされない問題であるはずです。
 原発事故以前の放射線被曝に関する労働者保護に関しては、「電離放射線障害防止規則」4条1項が原則的な規定でした。それによれば、事業者は「5年間につき100ミリ・シーベルト」かつ「1年間につき50ミリ・シーベルト」を「超えないようにしなければならない」とされています。これらの放射線量は、いずれも「実効放射線量」で、「等価放射線量」ではありませんので、注意して下さい。
 また、これらの放射線量は、「管理区域」内において「放射線業務」に従事する労働者
(「放射線業務従事者」)に関するものです。そうでない日本人の我々が、自然界からあびる放射線量は1年間につき平均約1ミリ・シーベルトだとされています。今回の原子炉事故の緊急対応するための労働者については、厚労省は、3月19日、1年間250ミリ・シーベルトに引き上げた。しかし、4月30日の報道では、既に240ミリ・シーベルトに達した労働者がいるとのことである。
 「炉心溶融」の可能性が報じられたのは、1号機建屋が3月12日午後3時36分頃に「水素爆発」によって破壊されたときからであった。この建屋内には4人の労働者が「ベント作業」と「ホウ酸注入作業」をしていたという。これら労働者の被曝の程度は、不明である。また14日午前11時1分ころには、3号機建屋が水素爆発によって破壊された。圧力容器内の水位低下のため「海水注入」をしていたが同容器内圧力の上昇のため、同日未明に労働者が一時退避した。そのため、海水注入が中断されていた。中央制御室には13人ないし15人の労働者が在室し、冷却水注入を継続していたという。被曝の程度は、やはり不明である。 他方、1号機から3キロ圏内の病院労働者3人が、除染後も高い放射線量を示し、「2次被曝」していた。同人らは「2次被曝医療機関」に搬送されている。2号機では、14日午後6時頃に、冷却水が消失して、「燃料棒の完全露出」という超危険な状態が出来した。同日午後9時ころには、正門で「中性子線」が検出されている(放射線量は不明)。
 2号機の事態は、給水ポンプの燃料不足が原因であったという。原発労働者の不注意という見方もあろうが、東電の怠慢というべきである。保安院によれば、燃料は4時間で切れるのに、どうしてそれを予期しなかったのかということである。15日午前6時14分頃、2号機で衝音があった。「格納容器」下部の「圧力抑制室」の損傷によるとされている。また、15日午前9時38分頃に、地震発生時に運転停止中であった4号機の「使用済み核燃料貯蔵プール」付近で火災が発生した。「圧力抑制室」損壊直後、原発周辺の放射線量は、969・5マイクロ・シーベルトに達し、火災後の午前10時22分ころ、3号機付近で毎時400ミリ・シーベルト(40万マイクロ・シーベルト)、4号機付近で100ミリ・シーベルト(10万マイクロ・シーベルト)、2号機と3号機の間で30ミリ・シーベルト(3万マイクロ・シーベルト)を記録したと報じられている(読売新聞3月15日夕刊)。同日、政府と東電は、「福島原子力発電所事故対策統合本部」を設置した(本部長菅総理、副本部長海江田大臣と清水東電社長)。
 この間、自衛隊は、安全院と東電が安全だと言いつつ依頼されたので、原子炉への給水などの支援してきたが、3号機の爆発で隊員4人が負傷したことで、態度を硬化させている。他方、警視庁は、16日の政府から警察庁への出動要請、それに基づく警察庁の指示により機動隊を出動させ、高圧放車でプールへの放水を決定。自衛隊は、同日、ヘリによる冷却水投下の準備にはいった。プールは、沸騰常態にある。17日から、3号機への冷却水の放水と投下が実施された。プールからは水が蒸発し続いており、使用済み核燃料が破損し、大量の放射性物質がまき散らされる可能性がある。給水を当面は継続しなければならない。惨事回避のためである。当然、1号機から3号機の炉心への海水注入は、継続されている。18日、東京消防庁も、消防車30台を投入すると決定した。19日未明から、東京消防庁による放水も開始された。

















 

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71回 原子炉事故と労働⑥
 原子炉事故によって、どのような事象が発生し、労働者がそれとどのように格闘してきたかについて、引き続き書いておきたい。重要なことは、炉心とプールの冷却である。19日現在、「緊急炉心冷却装置(ECCS)」は一度も作動しなかった。何故かと疑問を感じていたが、「原子炉が地震で自動停止した後に、津波のために「電源喪失」が起こったため」であるという。技術的な失敗と言うほかないだろう。
 「冷却水系」は、「注入ポンプ」や「循環ポンプ」を駆動させる電源を確保しなければ稼働しない。これらが駆動し、稼働するようになれば、格納容器の冷却も炉心への水の注入も、迅速に行える可能性が生ずる。これは、事態がさらに悪化する前に行わなければ手遅れになる。その意味で、「電源回復」に全力を注入するのでなければならない。電源回復は、「中央制御室」機能の回復をもたらす可能性がある。20日の新聞各紙は、電源回復作業について報道した。しかし、大量の放水も行われている最中であり、電源回復は簡単ではない。
 22日午後10時43分、3号機の「中央制御室」への通電に成功した。この機能回復は、原子炉及びプールの現状態の把握が可能となるという意味において、決定的に重要である。また、原子炉建屋内やタービン建屋内を手探りで細かな作業を余儀なくされてきた労働者の負担は、「中央制御室」が動けば軽くなるだけでなく、パネルが信頼できる程度に動けば、炉心の状態すらも正確に把握できることになる。
 24日、3号機タービン建屋地下1階で、労働者3人が、原子炉注水用の電気ケーブル敷設中に汚染水(深さ15センチ)に足を踏み入れたため、放射線被曝した。被曝現場は、暗闇の中であった。その内の2人は、被曝線量が年間限度量に近く、病院に搬送された。この汚染水が原子炉からのものか、プールからのものかは、不明である。建屋に汚染水ばかりでなく、2号機取水口付近のピットから海に流出している高濃度汚染水もある。漏水源も漏水経路も、不明である。4月6日朝までに、ピットに流出していた汚染水がとまった。水ガラスの使用が奏功しとようである。
 東電によれば、燃料棒の損傷は、1号機70%、2号機30%、3号機25%であるという。また、1号機の水素爆発防止のため、6日にも1号機への窒素ガス注入を開始するといい、実行した。注入作業は、6日間かかるという。同作業は、2号機、3号機にもおこなわれる。また、東電は、3月21日から22日に採取した敷地内土壌かたプルトニウムが検出されたとしていたが、28日に採取した土壌からも、プルトニウムを検出したことを公表した。肺に取りこまれると、危険である。      
 ピットから海に流出していた汚染水は止まったが、大量の汚染水(低濃度と言うが)の処理もまた、復水器が満杯である上、ピットもトレンチも汚染水貯蔵所と化してしまっており、その上今後も大量の汚染水が出るので、その一部を海に放流してしまった。タンカーを買い入れるなりすれば、こんなことをすることしなくてもよかっただろう。発想が貧困であるし、汚染水貯蔵船を発注したという話もないようである。
 電源の完全回復にはいたっていないのか、炉心シャワーが作動したという喜ばしいニュースは、首を長くして待望しているのであるが、報じられていない。原子炉崩壊の進行は、まだ停止したわけではない。原子炉労働者の格闘は、今現在も、続行されている。コードを引っ張り、螺旋を絞めたりゆるめたり、バルブを開けたり閉めたり、穴を開けたり詰めたり、柄杓で汚染水をバケツに入れて運んだり、瓦礫を除去したりを、放射線量を計算しつつ行っている。今の作業は、福島原発の全部廃炉への助走であろう。
 政府は、どうするつもりなのか。東電は、どうしたいのか。国家のエネルギー政策の一環として増設してきた原発の事故は、これまでにもあったが、これほどの大規模なのは、初めてである。「原子力委員会」や「安全保安院」は、ばね仕掛けのように動くものとばかり思っていた。各「中央制御室」に陣取るものとばかり思っていた。テレビで今にも危険でなくなるようなコメントをしてきた者達は、今の事態をどのように解説してくれるであろうか。彼らもまた、原子炉で食べている労働者にはちがいない。結局、彼らは理解出来なかったのだ。現場を徹底的に検証してほしい。その後に、もう一度、解説してほしい。
 そうしないと、現場の労働者に申し訳ないとおもう。20ミリ・シーベルトなら子供も教師も問題なく学校で活動できるというのは、本当のことなのか。まともな政治家や学者なら、子供を疎開させるはずだと思います。親も、教師も、児童も、20ミリ・シーベルト安全だとは思わないだろう。10年後、20年後の責任という観点を忘れた議論ではないのか。過去の責任ではなく、将来の責任がとわれているのです。児童の将来には、責任ある選択をしましょう。

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71回 原子炉事故と労働⑥
 原子炉事故によって、どのような事象が発生し、労働者がそれとどのように格闘してきたかについて、引き続き書いておきたい。重要なことは、炉心とプールの冷却である。19日現在、「緊急炉心冷却装置(ECCS)」は一度も作動しなかった。何故かと疑問を感じていたが、「原子炉が地震で自動停止した後に、津波のために「電源喪失」が起こったため」であるという。技術的な失敗と言うほかないだろう。
 「冷却水系」は、「注入ポンプ」や「循環ポンプ」を駆動させる電源を確保しなければ稼働しない。これらが駆動し、稼働するようになれば、格納容器の冷却も炉心への水の注入も、迅速に行える可能性が生ずる。これは、事態がさらに悪化する前に行わなければ手遅れになる。その意味で、「電源回復」に全力を注入するのでなければならない。電源回復は、「中央制御室」機能の回復をもたらす可能性がある。20日の新聞各紙は、電源回復作業について報道した。しかし、大量の放水も行われている最中であり、電源回復は簡単ではない。
 22日午後10時43分、3号機の「中央制御室」への通電に成功した。この機能回復は、原子炉及びプールの現状態の把握が可能となるという意味において、決定的に重要である。また、原子炉建屋内やタービン建屋内を手探りで細かな作業を余儀なくされてきた労働者の負担は、「中央制御室」が動けば軽くなるだけでなく、パネルが信頼できる程度に動けば、炉心の状態すらも正確に把握できることになる。
 24日、3号機タービン建屋地下1階で、労働者3人が、原子炉注水用の電気ケーブル敷設中に汚染水(深さ15センチ)に足を踏み入れたため、放射線被曝した。被曝現場は、暗闇の中であった。その内の2人は、被曝線量が年間限度量に近く、病院に搬送された。この汚染水が原子炉からのものか、プールからのものかは、不明である。建屋に汚染水ばかりでなく、2号機取水口付近のピットから海に流出している高濃度汚染水もある。漏水源も漏水経路も、不明である。4月6日朝までに、ピットに流出していた汚染水がとまった。水ガラスの使用が奏功しとようである。
 東電によれば、燃料棒の損傷は、1号機70%、2号機30%、3号機25%であるという。また、1号機の水素爆発防止のため、6日にも1号機への窒素ガス注入を開始するといい、実行した。注入作業は、6日間かかるという。同作業は、2号機、3号機にもおこなわれる。また、東電は、3月21日から22日に採取した敷地内土壌かたプルトニウムが検出されたとしていたが、28日に採取した土壌からも、プルトニウムを検出したことを公表した。肺に取りこまれると、危険である。      
 ピットから海に流出していた汚染水は止まったが、大量の汚染水(低濃度と言うが)の処理もまた、復水器が満杯である上、ピットもトレンチも汚染水貯蔵所と化してしまっており、その上今後も大量の汚染水が出るので、その一部を海に放流してしまった。タンカーを買い入れるなりすれば、こんなことをすることしなくてもよかっただろう。発想が貧困であるし、汚染水貯蔵船を発注したという話もないようである。
 電源の完全回復にはいたっていないのか、炉心シャワーが作動したという喜ばしいニュースは、首を長くして待望しているのであるが、報じられていない。原子炉崩壊の進行は、まだ停止したわけではない。原子炉労働者の格闘は、今現在も、続行されている。コードを引っ張り、螺旋を絞めたりゆるめたり、バルブを開けたり閉めたり、穴を開けたり詰めたり、柄杓で汚染水をバケツに入れて運んだり、瓦礫を除去したりを、放射線量を計算しつつ行っている。今の作業は、福島原発の全部廃炉への助走であろう。
 政府は、どうするつもりなのか。東電は、どうしたいのか。国家のエネルギー政策の一環として増設してきた原発の事故は、これまでにもあったが、これほどの大規模なのは、初めてである。「原子力委員会」や「安全保安院」は、ばね仕掛けのように動くものとばかり思っていた。各「中央制御室」に陣取るものとばかり思っていた。テレビで今にも危険でなくなるようなコメントをしてきた者達は、今の事態をどのように解説してくれるであろうか。彼らもまた、原子炉で食べている労働者にはちがいない。結局、彼らは理解出来なかったのだ。現場を徹底的に検証してほしい。その後に、もう一度、解説してほしい。
 そうしないと、現場の労働者に申し訳ないとおもう。20ミリ・シーベルトなら子供も教師も問題なく学校で活動できるというのは、本当のことなのか。まともな政治家や学者なら、子供を疎開させるはずだと思います。親も、教師も、児童も、20ミリ・シーベルト安全だとは思わないだろう。10年後、20年後の責任という観点を忘れた議論ではないのか。過去の責任ではなく、将来の責任がとわれているのです。児童の将来には、責任ある選択をしましょう。

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六四回 育児と介護③
 2 子の看護休暇
 「小学校就学の始期に達するまで」の子を養育する労働者は、事業主に申し出て「1年度(4月1日から3月31日まで)」に5日、同様の子が2人以上の場合には10日を限度として、子の怪我、疾病の看護のため、疾病の予防のために休暇(「看護休暇」)を取得することが出来ます(育休法16条の2)。この年ごろの子は、動き回ったりしてややもすれば怪我をしやすく、疾病に罹患したりして、特にその父母の看護を要することになります。これは、子育てをした者であれば、誰にも経験があることでしょう。
 「小学校就学の始期に達するまで」の意味は、「子が6才に達する日の属する年度の4月1日から翌年3月31日まで」ということだから、平成23年4月1日生まれの子は、平成29年3月31日午後12時に満6歳に達することになります。従って、この場合に子が「小学校就学の始期に達するまで」の意味は、平成29年3月31日だということなんだね。
 ところで、看護休暇の「年度の開始日」については、子の就学開始日と必ずしも同日ではないので、事業者は注意して下さい。年度の開始日は、事業者が任意に定めていいんですよ。ただし、その定めは、必ず就業規則に書いておかねばいけません。書いてなければ、開始日は4月1日となるだけです。
 看護休暇の対象となる疾病には、何らの制約もありません。重病でなくてはならないなんてことは、必要じゃありません。風邪で微熱があるという程度でも、看護休暇を取得することが出来ますよ。看護休暇を取得した労働者に、事業者は賃金支払い義務を負うことはありません。これは、育児休業の場合と異なるところはありません。民法536条を読んで下さい。
 3 パパ・ママ育休プラス
 「パパ・ママ育休プラス」(育休法9条の2)は、男性労働者の育休(育児休暇)取得を促進しようという趣旨のものです。子育て=女の仕事と言っていては、共稼ぎ夫婦の場合には、女性の負担は重いものとなり、退職を余儀なくされます。人口減少時代では、女性の労働者としての存在は経済の運行にとって不可欠です。夫婦で子育てすれば、また開始日をずらしておけば、休業期間を単独でする場合に比べ職場復帰を早めることが出来るでしょう。「プラス」と言うのは、「その養育する1歳に満たない子」の育児休業(育休法5条2項)に比して、「
 
 
 

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六三回 育児と介護②
 平成3年に、育介法(「育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」)が制定・施行され、20回の改正を経て今日にいたってます。①で述べたように、育児・介護は単なる家庭の問題を超えて、社会の、また国の重要な対応課題となっています。育介法は、「育児休業」、「介護休業」、「子の監護休暇」、「介護休暇」の制度を設け、子の養育や家族の介護を容易にするため「所定労働時間等に関し事業主が講ずべき措置」を定め、関係労働者に対する「支援措置」を講ずること等を定めているのです。
 この法律は、問題をほぼ家庭内に閉じ込めてあったことから、社会や国の領域に引っ張り出して、関係労働者に必要となる諸制度を設けるとともにだね、支援措置等も設けて、雇用の継続や再就職をば支援・促進して、労働と家庭の両立等を図ろうとしています(育介法1条)。
 育児、介護、看護は、愛情抜きには語れませんが、これらを労働として見れば、これらが産業として成り立っているくらいですから、なかなか大変なことなんだよ。だから、いったんは休業したり、退職しなくっちゃ育児、看護、介護が出来ない労働者が、多数いると思う。
しかし、退職したりすると、再就職支援を考慮しても、実際に就労するまでには苦労もある。そんなわけなので、育介法は、労働者が利用することができる制度や措置を複線的に用意して、関係する労働者に仕事と家庭を両立させることが出来る制度や措置を選択してもらうことにしているんだよ。強制的に休めなどと言っちゃあ駄目なのさ。つぎに、育介法の定める制度等について、説明することにしようかな。
1 「育児休業及び介護休業に関する制度」 これは、育休法2章及び3章に定めがあるように、労働者が育児休業と介護休業の権利を有することを明確化すると共に、休業の申し出があった場合に使用者に「承認義務」を課すことにより、これら権利が民事上の権利であるこよを宣言しています。また、使用者の努力義務についても、定めています。

 

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六二回 育児と介護
 少子高齢化社会が到来しております。こどもを大切に育てるのは親の当然の責務であり、老親など家族の介護もまた若い家族成員の神聖な役割です。また、これらの責務と役割は、私的なものであるばかりでなく、社会的なものであり、その円滑な遂行を可能ならしめるのは国の仕事でもあるのですよ。これは男の役割、あれは女の役割などと言っていた時代は、もうとっくに過ぎ去っていると思って下さい。
 「俺は子育てはしない」などと威張っている化石男は、結婚する資格はないな。「俺の親の面倒は嫁が看るのが当たり前」などと言っている男は、妻から三行半で離婚されてもしかたないな。同じようなことを言う女もいるだろうな。お互いに人間性を取り戻しましょう。
 

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六一回 女性労働者の保護
 女性労働者をただ女性だから保護せねばならないなどと、考えてはいけません。保護という名の女性への不利益強要は、あってはならないことです。高所に行けない建築家じゃあ、仕事にならない。坑内労働ダメなどと言っていてよいのかな。人力掘削ダメ(労基法64条の2の2項)というのは、ひょっとしたらまだふっきれていないのかもしれないよ。

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五七回 計画停電と休業
 東電の原子力発電所の暴走によって、今後様々な諸問題が発生して来ることになるでしょう。第2グループに入っている我が家では、夜の暖房ができず、震えあがってしまいました。近隣のホテルは、休業しているところがあります。喫茶店、お土産物屋なども、閉店しているところがあります。
 結構多くの労働者が、ホテルなどに雇用されています。自家発電で対応できるホテルは、限られています。しかし、大地震、大津波それに原発事故では、観光客の足がストップするのも、仕方のないことです。新幹線は別として、在来線はかなりの間引き運転です。さて、東電の計画停電によって、休業せざるを得ない事業所は多いと思います。
 電流が停止されて操業できなくなったときには、使用者の責に帰すべき休業であるとは言えないでしょう。天災による休業に近接した休業といってよいでしょう。確かに、地震津波によって社屋が流失したり塩水につかり、汚泥にまみれていて、企業活動が出来ない場合とは異なりますが、仕事を労働者にしてもらう状況にない点では、共通した面があるのです。使用者の責に帰すべき休業ではないので、使用者は賃金を支払う義務がないのです。
 しかし、使用者が休業を宣言しないで、労働者が出社して待機しているのであれば、

 

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五五回 労働時間・休憩・休日の適用除外
 労基法41条は、労働時間等について「適用除外」についても定めています。適用除外というのは、労基法を適用しませんという意味です。適用しませんというのですから、適用されない労働者についての詳しい情報が必要となります。
 その第1は、労基法の別表第1第6号(林業を除く)または第7号に掲げる事業に従事する者です。                 別表第1第6号は、「農林業」ですが、林業を除くとしていますから、「農業」です。「土地の耕作若しくは開墾」、「植物の栽植、栽培、採取」は、農業の代表的なものと言って良いでしょう。農業は、自然相手の仕事ですから、季節、天候に左右されるものです。また、農閑期と農繁期とがあり、年間を通じて安定した労働時間を設定することは、不可能です。農繁期に休まれてしまうと、農作業が停滞することになるでしょう。収穫・出荷作業は、遅滞なく行われねばなりません。これらの事業に従事する者に労働時間等の適用除外は、常識的に分かることだよね。
 別表第1第7号は、「動物の飼育」又は「水産動植物の採捕若しくは養殖」の事業その他「畜産、養蚕又は水産」の事業となっています。動物や魚類は、人間の時間に合わせて行動したりはしません。人間がその動きに合わせざるを得ません。魚群を前に寝ていては、漁業は上がったりですよね。繭を作ろうとする直前の蚕の食欲に、人間が対応しなければなりません。動物はいつも元気ではありません。病気にもなりますし、伝染病にも罹ります。人間は、動物時間に自分を合わせなければいけません。これも、適用除外は当然の事柄と言ってもいいのじゃないかな。
 第2は、労基法41条2号の「管理監督者」又は「機密事務取扱者」です。
 誰が管理監督者かは、形式的に判断してはいけません。部長であったり、店長であったりの肩書は、管理監督者であるかどうかを判断する指標とはなりますが、その人が指揮権をもっていないとか、労務管理する主体でもないという事情があれば、管理監督者とは言えないでしょう。要は、使用者と一体となって、経営の任に当たり、労働条件の決定に参画し、労務指揮権を行使する者達を、管理監督者と言うのです。最近は、「名ばかり管理職」がいるとのことです。注意しましょう。適用除外されませんので、高額な時間外手当を請求されることになりますよ。
 機密事務取扱者とは、例えば「秘書」のように、経営者や管理監督者の活動と一体性をもって活動する者であるために、厳格な労働時間に服させることが不適当であると判断される者を言うのです。 
 第3は、「監視断続労働従事者」で、労基法41条3号にその定めがあります。「監視労働」と「断続労働」に従事する者が、適用除外の対象者となります。
 監視労働は、常態的に身体的・精神的な緊張の少ない監視労働を言います。

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五三回 裁量労働 その1専門業務型裁量労働
 企業内で一定の業務を行うときに、プロジェクト・チームを組んでいることがあると思います。そしてこのチームの行う開発業務についてはこのチームに裁量権を与え、使用者の側からは指揮・命令の余地が無いような場合が、あるでしょう。

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四九回 休日と年次有給休暇ーその3年休
 年次有給休暇、通常は年休と言ってます。労基法39条1項は、使用者は、その雇入れの日から起算して6カ月間継続勤務し全労働日の8割以上出勤した労働者に対して、継続し、又は分割した10労働日の有給休暇を与えなければならないとしています。
 この規定は、書き方を間違えていると思うよ。就職の日から起算して6カ月間継続勤務し、全労働日の8割以上出勤した労働者は、継続し、または分割した10労働日の有給休暇を取得する、と書かれるべきだったと思うな。使用者は、・・与えなければならないと書くのと労働者は・・取得すると書くのとじゃあ、随分と印象が違うと思わないかい。

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四七回 休日と年次有給休暇ーその2休日②
 休日の振り替えとは、どういうことかな。休日が使用者の意思で何時でも変更されるならば、労働者が休日を自由かつ計画的に利用することができない。だから、休日がいつかを特定しないと駄目なんだ。休日の振り替えは、代休じゃないから、気をつけないとね。休日とされている特定の日ではない日を休日に指定し、かつその日もまた特定されている場合を、休日の振り替えと言います。振り替えは、就業規則に定めておかなければなりません。
 代休は、特定された休日に労働した場合に、予め特定されていない日を休日にすることをいいます。つまり、休日の振り替えが就業規則に定めが無く、振り替えが出来ない場合に、代休を考えることが出来ます。特定された振り替え日にも休日付与が出来ないときも、代休の付がなされることがあると思いますが、好ましいことではなく、違法だとされることになるでしょう。気をつけないと駄目だよ。
 国民の祝日は、ここに言う休日じゃあないんだよ。大学なんて所は何も知らなくてね、文科省が年間30回の講義をせよなんて馬鹿げた干渉がましいことを言ったもんだからさ、国民の祝日を潰して講義して、その振り替えで休日をこの日なんてやってるのさ。教養ないね。やんなっちゃうよ。注意しても、弁護士がそうせいと言ったの一点張りだよ。祝日は祝日で、休日じゃないんだから。しかし、国をあげてお祝いだと言ってるときに、おいら達は労働するというのは、首を傾げるよ。それとも、労働意欲の高さを誉めるべきなのかな。
 1週間の出張を命じられた労働者は、出張先で休日を迎えてしまいます。この場合、出張先で休日付与なんてことはやっちゃあいけないなあ。きちんと振り替え日が特定されていればいいけど、出張先でお前は休日を楽しんだんだろなんて言う使用者は、落第生と変わらないんじゃないかな。休日労働したことになるから、割増賃金を払って下さいよ。

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四六回 休日と年次有給休暇休暇ーその1休日
 休日とは、労働日ではない日です。年次有給休暇または年休は、労働日ではない日、または労働日の一部について労働義務が無い日のことです。そのいずれにおいても、労働者は労働義務から免れることになります。労働義務がないという意味では、休日も年休も同じですが、使用者にその間の賃金支払い義務が無いか有るかの相違があります。休日を有給としても、いっこうに差し支えありません。
 労基法35条1項は、使用者は労働者に対して毎週少なくとも1回の休日を与えなければならないとしています。労基法35条1項の毎週1回の休日は、週40時間制(労基法32条1項)の狙いが週休2日制であることを考慮すると、文字通りの最低基準であると言えます。
 休日を週2回としている事業場が、増加しました。その際に、無給日を1日増やしたという例は、あまり聞かなかったと思います。労基法35条の毎週1回休日の原則は、この意味では、毎週1回無給日としての意味を有することになります。少なくとも1回ですから、2回でも、3回でも良いですが、労働者の受け取る賃金が減少することにもなりますので、限度があります。週休3日などは、考えられもしないでしょう。
 休日は、休業日ではありません。休業日は、何らかの事由によって
操業することができない日を言うのです。自然災害で休業を余儀なくされることもあれば、大停電でそうなる場合もあるでしょう。労基法26条は、使用者の責に帰すべき事由による休業の場合の6割以上の手当の支払い義務を定めています。休日は、原則として、無給日であって、金銭の支払いはありません。使用者の責に帰すべき休日という考え方は、無いからな。また、休業すれば労働しないわけだから、原則として労働者に賃金請求権はありませんが、使用者の責に帰すべき事由があるときに限って、休業手当の支払いを使用者に命じているんです。こんなわけで、休日と休業は区別されなければならないんですよ。ややこしいな法律家は、細かいことばっかし言いよって。
 休日は、丸1日です。まる1日は、午前0時から午後12時までです。そうだとすると、午後9時からの24時間は、まる1日ではなくて、1日目に3時間、2日目に21時間ということになって、まる1日の24時間の休日を与えたことにはならないんですか。2日にわたってのこま切れ休日は、労基法35条1項違反ではないですか。こういう問題は、交代制労働の場合に発生します。





 
 

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四五回 労働時間ーその12労働時間法⑨
 朝から労働して昼には休憩する。労働者の多くは、このパターンで労働・休憩・労働を日々繰り返しています。労働者が働く職場は、様々です。一次産業でも、漁業の場合には、魚群を前にして休憩していてはおまんまのくいあげになるから、毎日同じ時間に休憩というわけにはいかないな。二次産業の生産会社ならば、大部分の労働者は、ほぼ一斉に休憩するでしょうね。三次産業の販売会社は、営業時間に全員が一斉に休憩することはないでしょうね。
 労基法34条1項は、労働時間が6時間を超えるときには45分、8時間を超えるときには1時間の休憩時間を定めています。

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四四回 労働時間ーその10労働時間法⑧
 最初に、被災者の皆さま、犠牲者の皆さまに真心からお見舞い申し上げます。それ以外の言葉は、思い当たりません。どうか御身お大切に。                              いま大変なことになってるから、読んでくれている方々と一緒に考えよう。地震だけでも大変なのに、津波の襲来があって、さらには原発事故ですから。どうしたら良いのか、五里霧中ですよね。労基法33条がかくも強暴な災害を想定していたとは、誰も思わないでしょう。企業には跡かたもなく消滅させられたものも、あるに違いありません。否、多いのです。この場合、残業も休日労働も考える余地がありません。
 企業が残っていても、妻、夫、子供、孫の姿を探し求めている方々に働けと命令できないでしょう。労基法33条は、不測の事態には労働者に助けてもらおうというものですが、使用者は、逆にどのようにしたら、労働者を支援することが出来るかを考えるべきでしょう。例えば、希望者には国民の祝日を前倒しして、ボランティア活動を鼓舞する必要もあるでしょう。ボランティア休暇制度を、この際、拡充強化する必要を感じている経営者も多くいるだろうと思います。議会は、この制度を民間企業に委ねるのではなく、公的な制度として練り上げるべきです。
 

錚吾労働法

三九回 労働時間ーその6労働時間法③
労働条件の明示義務(労基法15条1項)との関係で言いますと、労働時間は、労働者に対して必ず明示されねばなりません。そこで、使用者が、1週40時間、1日8時間とのみ口頭表示したとします。この場合、誰でも分かることですが、始業時刻、休憩時間の開始時と終了時、終業時刻についてハッキリと明示してないので、すぐにもめごとが生じるでしょう。
 仕事が事業場外で、しかも変動するような場合には、毎日それらを定時として明示することは、難しいかも知れません。しかし、毎日始業時間が変動するようでは、困ってしまいますよね。また、仕事場まで遠距離であれば、実際上仕事に要する時間が長くなってしまいます。このことから生ずる不利益を労働者に負担させてはいけません。
 このような場合であっても、始業時刻をハッキリと定めておくべきです。例えば、事業場への入場時刻とか送迎バス乗車時刻という具合に、使用者の指揮監督下に入る時刻として定めるべきです。それでは、バスに乗っている往復1時間も労働時間になるのかといって、目くじらを立てるのはよしてください。バスに乗れとの使用者の指揮に従っている以上は、それは、労働時間だといって良いのです。そんなことなら、休憩は無しだなんてとんでもないこと言ってはいけませんよ。言いかねないからなあ。重要なことなんだから、文書で明示して下さいよ。
 夜警業務者が夜中に仮眠するとしましょう。かっては、宿直者の仮眠は労働時間かどうかという問題でしたが、現在では警備会社の警備員の仮眠は労働時間かどうかと問題となっているようです。仮眠時間が労働時間であるかどうかは、労働義務から解放されているかどうかという基準によって判断されることです。全く解放されていれば、それは労働時間じゃありません。結果的に解放されていたというのであれば、それは、なお、労働時間であると言えます。例えば、夜中の着信に応信しなければならないが、着信は無かったというような場合が、これに当たるでしょう。
仕事が連続していない場合があります。休憩時間ではなくて、労働時間中に労働していないように見える時間があるような場合のことです。手待ち時間や監視断続労働の場合が、これに当たります。手待ち時間は、例えば、倉庫業者の労働者がトラックの出入りをチェックしつつ、積荷の入庫や出庫の記録をつける労働に従事しているとしよう。トラックは、常時連続して入構するわけではないので、その間に仕事をしていないように見える時間が生じます。これを、手待ち時間というのです。この手待ち時間を実労働時間から除いても良いかという問題です。
監視断続労働は、門衛、夜警、警備などの労働においては、常時連続的に労働が行われていないのが普通の場面において、行われる労働を言います。このような労働は、緊張を伴う労働時間、緊張を伴わない労働時間が断続するのが普通です。場合によっては、テレビを見ようと思えば可能な時間もあり得るでしょう。監視断続労働の問題は、これらが総て労働時間として計算されるのかと言う問題です。
 手待ち時間も監視断続労働も、それが使用者の指揮下に置かれている以上は、労働時間となります。タイムレコーダーに打刻された時間は、この使用者の指揮下にあったという証拠になります。全くサボって途中退出して飲み歩いていたなどは論外です。







 

錚吾労働法

三八回 労働時間ーその5労働時間法②
 労働時間法が複雑化したとしても、1週40時間1日8時間が、労働時間法制の根本です。まずは、この原則規定に関わる紛争について考えましょう。
 タイムレコーダーの設置場所が会社の門であったり、あるいは門たら離れたじっさいの労働場所であったりすると、労働時間はどこから計算されるのでしょうか。
 実際に労働を開始するまでに、そのための準備をしたり、体操をしたりすることがありますが、労働時間はどの段階から計算されるのでしょうか。また労働が終了してからの後かたずけや整頓なども、労働時間に参入されるのでしょうか。
 これらの問題は、きわめて古典的な問題ですよね。労働法を多少なりとも勉強したことのある人なら、これらは、かっては、労使間の先鋭な対立を来たした問題であったことを思い出すに違いないよね。製鉄会社のように広大な敷地を有する事業所においては、門にタイムレコーダーが設置してあれば、入門時が労働時間の開始時点だと主張されることとなり、実際に労働する職場での労働開始時刻との間に差が生じてしまいます。それではと、実際の労働場所に設置すると、門から労働場所に至るまでの時間は時間外労働時間じゃないのかと主張されることになったのです。門に入れば、危険もあるのだから、門からだといって譲らなかったのです。
 労働契約の労働義務は、労働者が使用者が指定した場所で働くということです。勝手に労働者が決めた場所から労働時間が始まるのではありませんよ。タイムレコーダにを何時までに打刻せよという指示がされているはずですから、労働者は、指定時間までにそこにいかなければなりません。入門時に身分証明書や社員証の提示を求められる場合は、そこで会社の指示が始まっているから、そこから労働時間を計算せよという滅茶を言う者達もいました。これは、入構チェックの問題と労働時間の問題との区別が出来ない者達の主張だったんだよ。
 労働開始前に、体操でもして体をほぐしておくか。というようなことは、よくあることでしょう。体操したんだから、労働したんだと単純に言われても、困っちゃうよね。会社が体操を義務付けている場合は別ですよ。また、重いものを持ち上げるような作業では、足腰を柔軟にしておかないと怪我をする可能性があるのでは。体操でも、労働と密接不可分のものだとされる可能性があります。そのようなときには、体操時間も労働時間に参入されることとなるのでは。だから、何体操?そんなものが労働時間になるわけがないだろうなどと、単細胞なことを言ってはいけないんだよ。
 二番目の問題については、応用問題としますから、考えてみて。